[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私の印象↓
ブログ:ブログ主が良識の持ち主なら恣意的なコメントの公開の仕方もしないし、コメンターに対して返事もしてくれる。ただし往々にしてブログ主対コメンター達(1対複数)になりがちである。
普通、出てしまったコメントはブログ主の承認なしでは消せないし修正できない。その点が非常にいい。
あと、ブログの方向性によってはある一定の層が集まってくるのでコメントの質が保証できる場合もある。
掲示板:議論において1対1(というより複数対複数)を維持できるわりといい環境。ただし掲示板が落ちたり、議論してた人たちがいなくなったり(特に匿名掲示板)したり、議論の質が保てなかったりする。
管理人がいる掲示板だったらその点もある程度カバーできるか。
実はYahoo!掲示板で議論をしようかとも考えたが適当な板が凍結(新スレ立て禁止)だったのでできなかった。
教えてgoo!:Yahoo!知恵袋みたいなQ&Aサイト。
同じ質問に何回でも回答できる。ただし回答の修正はできない。(消せたかな?どうだっけ?)
ある程度は議論できる。すごく専門的。オカルト関係はほとんどみない(というか議論が発展しない)気がする。
専門家が多いのであまり議論を見たことがない。というか質問もかなり専門的。
Yahoo!知恵袋:結構くだらない質問が多いQ&Aサイト。そんなところが愛おしい。
質問に対する回答は2000文字まで。追記は何回もできるし回答の修正もできる。おかげで議論はほとんどできない。そもそも議論や批判が嫌いな(食わず嫌い的拒否反応)人が多い。
でも専門知識を持っている人もたくさんいる。
教えてgoo!よりも回答の幅がピンからキリまでという感じがする。(良い意味でも悪い意味でも)
議論をするなら
管理人のいる掲示板>ブログ>>掲示板≧教えてgoo!>>>>Yahoo!知恵袋
それでもなんで知恵袋でしたいなぁと考えたかというと
だから「見せても理解してもらえないだろう」と思い始めたときに知恵袋は無理だなぁと思った。・ブログよりも閲覧者の思想でフィルタがかからないから(いろんな人が見る)
・もともと「見せる」書き方、理解してもらえるよう回答をしてるから(たいていは…ね)
11月20日追記:
知恵袋の記述は最高2000字までしか行えません。
2000字ってけっこうありますが、議論するには全然足りません。
残念なことに議論のログは「リアルタイムで見ている」か「当事者」でない限り見ることはできません。
それでは議論としての価値は半分です。人間の営みでずば抜けて優れているところは「自分が体験していないことも追体験できる」ことです。ログが残っていることで無駄な議論が減ります。その究極の形が学問であると考えます。
参加者全員がそう感じているわけではないと思うのですが、知恵袋とは「発展途中」を書くのではなく、今わかっている知識を提供する場だと思っています。
ということで、
1.わかっていること
2.確かではないけどそうだと思われること
3.確かではないこと(ほとんどわかっていないこと)
っていうのは明確に区別して書くべきで、2を1に、3を1や2に見せかけてはいけないというのをとても肝に命じています。
今回問題にしていることは
3を2に、2を1に見せかけていませんか?ということで、こういう質問をしてもいいとは思っているんですが、たとえば1対1で議論の平行線をたどるようなことはやはり掲示板やブログが向いていると思います。
答えが1つで、Yes/Noで明確に答えられることなら知恵袋は向いているでしょう。
しかし残念ながら知恵袋で局所的に行われる議論の多くは「答えが見えてこない」のです。
これは知恵袋の性質上仕方のないことなのですが、せっかく素晴らしい知識を持った方が応えてくださるのに平行線をたどるのはもったいないと思うのです。
あと、今年の4月からの占いカテでの指名質問に不快感を抱いていた者としては同じような流れに持って行きたくないという気持ちもあります。
言い方は悪いですが、出来レースのような感じに「ある程度のコンセンサスが得られるまで」ここで少し堅苦しくない話し合いをしませんか、ということです。
ブログの議論は「形を決めない議論」、知恵袋は「見せるための議論」ということで了承してほしいと思います。
ようは、一段低いところでもう少し双方の言い分(前提条件など)を書きあって共通の認識の下に書きませんか?という相談です。
補足:今日までほとんど動けなかったのはこちらの個人的な都合です。申し訳ないです。
金曜~日曜:学校祭の出店の手伝い
日曜~月曜:月例の研究報告会+風邪
ここでいろいろ批判する前に私的見解を述べておきます。
今後まとめたらそれぞれ独立した記事として置いておきます。
まず私自身ですが、ここに載せる予定の多くのものについて否定的ですが、私の目的は否定することではありません。真実の探求および事実※1の周知を目的としています。
なので検証した結果として私の考えが間違いでこれら諸説が正しいことが立証された場合は正しいほうを取ります。
この態度を優柔不断と受け取る人もいるかもしれませんが、私は私の考えにではなく真実に対して忠実でありたいと思っています。
私自身知らないことが多いので間違いもあると思います。
しかし、間違いを認め、改める謙虚さも持つべきだと思っていますのでどうぞご指摘ください。
※1:特に但し書きがない限り、事実は客観的事実の意味で用いるものとする。
【血液型性格判断】
信じていません。
統計的に差がない、だの、その統計処理自体に問題がある、だの、確率以上に当てられる、だの諸説聞きましたが、私としては「ステレオタイプ」や「確証バイアス」の影響が強いのではないかと思っています。
※血液型性格判断という語句が一般的に使われているようなので「血液型性格診断」から「血液型性格判断」に変更しました。
【前世・輪廻転生】
前世については信じていません。
輪廻転生は物質面において言えると思っています。
つまり、火葬および土葬を行うことによって肉体は無機物や有機物にまで分解され、それらは微生物や植物の活動によっていずれは人間に還元されるだろう、ということです。
私たちは死んでもなお植物や動物に取り込まれることで、あるいは大地に還ることで行き続けることができるのです。
ということで魂も(定義をつけないと難しいですが)信じていません。
【迷信】
これはもう迷信と書いている以上は信じていないのですが、ここでは何故信じてしまうのか、そこにはどんな理由があるのかについて書いていきたいと思っています。
【超能力】
いわゆる念力(PK)、波動(気)予知や透視(ESP)と呼ばれるものについては信じていません。
でも100mを10秒で走れる人や数μm単位で違いを感じ取れる人などは私から見たら超能力者なのですけどね。
今のところ超能力と霊能力を同じカテゴリーで書こうかとかんがえていますが、霊能力を信じていても超能力を信じていない人、またその逆の人もいるのでそのうち分けて考察したいと考えています。
【雑感】
ノンジャンルで言いたいことを言いたいだけ言うためのカテゴリーです。
なるべくこのカテゴリーに入っているものに対して恐らく口語調で言及するつもりです。
というわけでこの「私見」も雑感です。
【俗説】
これは第六感的なものではなく、科学的根拠はないけど広く知れ渡っている民間療法ちっくなものを中心に取り上げていこうと思っています。
今考えているのは「男女の産み分け」です。
科学的に考えたらどこまでが信憑性があってどこからが怪しいのか、ちょっと分けてみたいと思います。
【バイオテクノロジー/科学不信】
これは現在市場に出回っている遺伝子組換え作物に関して、正しい情報と間違っている情報、これから先なにが不安要素でどんな技術が素晴らしいのかをわかりやすく説明できたらなぁと思います。
遺伝子工学技術に携わった(恐らく来年には卒業して縁のないところに行くのだろう)者としては根拠のない批判を浴びているのを見ているのはとても心苦しいのです。
追記:合成洗剤と石けん、ホメオパシー(これは民間療法な気がする…)についても言及することにしました。
この行為が私には「安心を得るために安全を軽視している」ようにみえます。
無知ゆえの不安は知ることで解消できます。
正しいことを少しずつで良いから教えていけたら、と思っています。
疑似科学のカテゴリーは作るべきだろうか…。
確かに「水からの伝言」や「マイナスイオン」についても書きたいけど、どちらかというと「何故信じてしまうのか」について知りたいな
しかしホメオパシーはいったいどこのジャンルに入れたら良いんだろう。。。
【科学(科学哲学)】
新たにカテゴリを作りました。
科学哲学の領域は実は奥が深い(というか迷いこんだら出てこられなくなりそうで)足を踏み入れたくないのですが、とりあえずとても哲学的な話になりそうだなぁという気がしたので条件付きで入れておきました。
科学の恩恵に与っているのに科学を批判するのは何事だ?
という人がいますが、私は恩恵に与っていてもそれを批判するのは自由だと思うんですよね。
ただ、それについて何も知らないのに根拠なく批判して、でも恩恵には与るよ☆みたいなのはちょっと…こいつ…と思うことは、まあ、あります。
たとえば動物実験について、先日回答したけど、調べていると確実な代替案※1がないまま「とにかく廃止しろ!」って言ってる人が多いことに気づきました。
確かにラットやマウス、ウサギやサルなどとヒトとでは薬に対する感受性は異なるかもしれません。
でもね、動物実験ができないからいきなり臨床実験を行います、って言われたらどう思います?ましてや臨床実験も人間を実験検体として使うことだからけしからん!止めろ!って言われたら、実際の臨床データが1個もないままいきなり「あなたの病気にはこれが効くはずだから」って渡されるんですよ?「大丈夫、昆虫とか培養細胞※2では問題なかったから」といって。
で、ほとんどの人は渡された薬について何も知らないまま飲みます。
これ、すごく怖いことじゃないですか?
タミフル※3の騒ぎどころじゃないですよ。
タミフルは子供に対しての副作用が強いと言われているけど臨床試験は行われていますからね。
もちろん、これらのリスクを知ってなお批判するのはありです。
けど、知らないまま行われる批判というのは正しいのだろうか?と少し思うのです。
いったい自分が批判しているものについてどこまで知っているんだろう?と。
そういう意味では「恩恵に与っているのに~」といっている人と同じような思考であることは間違いないですね、うん。
少なくとも正しい根拠の元に批判してくれって思います。
根拠が曖昧な批判ほど、批判する側としては効果的だと思っている節がありますが批判される側としては「じゃあどうしろっていうのよ」という思いが強くなります。
的確な批判であれば修正することも可能だけど、曖昧な批判は批判を行った者の自己満足にしかなりません。
この点に注意しつつ的確な批判をしたいですね。
※1:動物実験の代替案としてコンピューターによるシミュレーションで効果を検証する方法もあるのだそうです。でもこれも確立されるまでは実際の実験データとどのくらいズレがあるか、とかどういう状況ならば当てはめられるか、などまだまだな部分もありますね。
※2: in vitro(生体外で)の実験をin vivo(生体内)で起こりうる現象にそのまま当てはめることはできません。
これを検証しているのが臨床試験です。
※3:タミフルが本当にあのような副作用を起こすのかということについては私は懐疑的です。でも実際に死亡者が出ている以上、因果関係はともかく慎重な取り扱いが必要であるとは感じます。