忍者ブログ
日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
[152]  [151]  [150]  [149]  [148]  [147]  [146]  [145]  [144]  [143]  [142
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

知恵袋で続けることで「難癖をつけられて可哀想な自分」を演出したいのだろうか。
善意の解釈をして待ってたのに無視されて返答する義務はないとか言われた私は可哀想じゃないんだろうか。

もう疲れちゃったよ。
なんでただの科学的な仮説を聞くのにこんなに苦労が必要なんだろう?

感情的になる人だって理性的になるときはあるんですけどね?
反対にずっと理性的な人なんていないじゃん。cecil_scott_foresterさんは自分が冷静だとでも思ってるんでしょうか。
常に理性的で論理的じゃなきゃ理解できない仮説ってなんですか?

今回の唯一の収穫は「メイヤーの本の感想で書いた私の解釈は違う」ということがわかったことです。
どう違うのか言ってくれないと理解できないんですけど、そうならそういえばいい話じゃない?
なんで7回目で初めてそういうことを言うかな。
7回目って短く見えますけど、知恵袋だと2000×6=12000文字費やした後ってことですよ。
そんなの最初の一行目に書けって話じゃないですか。
それを言ってくれればここまでこじれることはなかったと思うんですけど。

「レッテル貼られて可哀想な私」を主張するのが心の底からくだらないと思っている私に対して「被害者ぶっている」といえるあたりがすごい。
「レッテル貼られて可哀想な私」って主張するのはくだらないよね、あなたが私の一言に拘るのと同じぐらいにさ、って言ってるのに。もちろん「解釈が違う」のならこだわることの位置づけは異なってきますよ。なんで1万字を費やさないとそういうことが言えないんだろうか。

あと、どうしても私が「被害者ぶりたい」と思ってるんでしょうか。
もっと可哀想なことがあるでしょうに。

「お手数ですが拙ブログにコメントください」
と言っても来てくれない。
仕方なく知恵袋に質問を立てたら(しかも質問を立てさせられてるんですからね)私の方が悪者(第三者からね)にされる。
もーう踏んだり蹴ったりですよね。
周りから見たらみっともないから止めなきゃいけないってのはおかしくないかな?
周りから見たらみっともないけど、それを脇に置いてでも訊かなきゃいけないと考えてるから訊いてるんだからさ。だからディベートをみると「可哀想」とか頓珍漢なことをいうのかしら。心配しなくてもディベート相手とは超仲良しですよーだ!(という高校時代のトラウマ)
TPOによって使い分けができない人が多い、って言っちゃうと簡単だけど、本当にそれだけなのかな。
そういう日本人的な考え方は私もよくするけど、そして犯罪になるようなことはするつもりはないけど、けじめをつけなきゃいけないのはあちらさんなんだけどなー。


この議論で得られたことってのは、
・前提条件が違うと対話は不可能になる(そのためのすり合わせをしたはずなんだけど)
・cecil_scott_foresterという単語をコピペでなくちゃんと書くことができるようになった(笑)

だけです。対話が打ち切られるようなら今後にちゃんとまとめますけど。
仮説についてはさっぱりです。
きっと理性的じゃない人には話したくないんでしょう。
どうせ私は理性的じゃないです。でも世の中理性的じゃない人の方が多いんじゃないかしら。そういう人たちに理解される努力を私はしようと思うけど、そう思わない人もいるというのも収穫です。

愚痴だからなにも推敲してないですよ。
「あげ足を取ることができる」のと「相手の文章を正しく理解する」ことはまったく別のことだと思うんですけどね。
理解してなくたって揚げ足取りはできます。
私は揚げ足取りをしてるわけじゃないですけど。

揚げ足取りと言われた用語の確認について以下に。
だって双方とも違う意味で使ってたら相手の言い分を理解できないじゃない。で、実際に違う意味で使ってたはずでしょ。
これを揚げ足取りというのなら私の行っているすべての発言は揚げ足取りの延長なのだろうと思いますよ。

****************************************************************************************

科学的:科学的なら論理的であると言えるが、論理的であるなら科学的であるというのは間違いである。
世間一般で、科学以外にも科学的に思考するのは望ましいことではありません。「“世間一般では”論理的に思考することは望ましい思考方法」とおっしゃるのなら同意しますが、上述のとおり論理的であることと科学的であることは似ているようで違います。

理論科学:私の理解した理論科学にもやはり仮説の確かさを主張するための根拠がありました。

仮説:積極的に定義を問うた覚えはありませんが、それは「科学的な仮説ですか?」とお聞きし「その通りである」という趣旨の返答をいただいたと理解しています。

根拠:どんな主張にも必ず根拠があります。それを「なぜ今話すことができないのか」を言ってくださればちゃんと待ちましたよ。
「根拠を提示しない議論は初めてである」に嘘はありません。
立派なものから貧弱なものまで見てきましたが、あえて出さない人は初めてです。

オッカムの剃刀:仮説の確からしさを審議するときに使うもの、ではありません。しかも、同じ前提の仮説でもありません。だから不適当であると言っただけですよ。仮説のスマートさ(仮定の少なさ)と確からしさはまったく別モノです。
科学的な態度で確からしさを問うのならば「幽霊の存在」は「前提」にしてはいけないのです。そこもブラックボックスであることを自覚したうえで確からしさを考えるならば、幽霊の存在を成り立たせるための「仮定」がたくさんあることを他ならぬあなたはご存知ですよね?
そして、以前の議論で私はその「仮定」についてお伺いしていたのですよ。

***************************************************************************************

以上、書いたものの一部。

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
ブログ内検索
カレンダー
10 2024/11 12
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
(09/07)
(08/12)
(06/15)
(06/15)
(06/11)
(06/11)
(05/24)
(05/24)
(05/24)
(05/23)
カウンター
アクセス解析
Copyright © azure blue All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]