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書きかけですが補足として少し書いておきます。
みなさま回答ありがとうございます。
おそらく、私の批判の仕方は「回答の仕方(書き方)批判」になると考えています。つまり、内容には踏み込んでいない場合がほとんどです。
「個人的に」証明されたものと解明中のもの、科学的仮説と科学的でない仮説を分けるべきだという信念を持っていて、すべてが一緒のレベルで語られることに違和感があるのです。
私自身は非科学を許容できないわけではまったくなく、考え方は否定派よりもcecilさんに近いと思っています。
cecilさんはせっかく素晴らしい知識をお持ちなのだから短絡的な否定派には構わずに書いてほしいのです。
私も(広義では)否定派なので一緒くたに批判されても困るし、そもそもcecilさんが私を含めた懐疑的否定派のことを指して言っていると考えているわけでも科学を使えないと言いたいだろうと思っているわけでもありません。それは対話をしてきた私が十分理解しています。ただ「そのように読める」のです。とても上手く書かれているから気付かないけど対象を特定しない批判は(ギャラリーに対して)効果的ですがとても無意味です。それならしない方がいい、とさえ思っています。
肯定派が相手にすべきは科学は絶対と思っている少数派ではなく科学の適用範囲を理解している多数の懐疑派・否定派ではないでしょうか。
私は「超常現象カテ」や「血液型性格判断」の質問においてよく名指しで批判をします。
これが忌避されていることはわかっています。批判をするとほとんどの場合BAにはならないし通常の回答の3倍は疲れます。
「批判してる人はリアルで何も言えないからネットで憂さ晴らしをしている」とか「否定派はなんで必死なの?」とか的外れな指摘に耐えながらも、それでも批判相手をぼかすことによる「伝わらなさ」を回避するためならこれからもすると思います。
率直に誤解を恐れずに言うと、私にはcecilさんの回答が「霊は異次元の存在だから3次元の科学では解明できない。以上。その上で霊というのは~」という風に見えるのですね。
一見つながっているように見えてつながっていない。たぶんそこに一種の気持ち悪さを感じています。
異次元の根拠として出すRS理論も証明される可能性が高いとは言えません。魅力的ではあるけれども可能性は低いというのが一般的な理解ですよね。
cecilさんの挙げられている研究のほとんどは「過程」であってまだ証明されたものではありません。cecilさんもそのへんは理解されていると思うのですが、文脈からはそうは読めません。そして私はその文脈こそ問題にしています。
たとえばそれがこの一言に凝縮されていたりします。
>わかりやすさのためには正確さを犠牲にしてもいいでしょうか。
私の意見を書きます。
わかりやすさと正確さは対立しません。
科学というのは「絶対」がないので言い切ることができません。分野によってはとても歯切れの悪い言い方しかできません。
だからどちらか一方を犠牲にしなければいけないなら「わかりやすさ」を選ぶと思います。
もちろん科学を使わない場合にもこの考え方を適用しなければいけないと言っているわけではありません。
なんか書きたいこととはまだ違う気がするんですが上手く説明できません。
また、名前を省略してしまってすみません。
追記:上記の文章は11月1日および11月3日のcecil_scott_foresterさんのコメントを読まずに書いているので少し(ではなく)ずれたことを言っている可能性があります。
私の中には「霊が存在するとしたらどのような可能性があるか」といった具体的な理論はありません。
正確にいうなら、99.99%ぐらいは錯覚や幻覚などであると思っていますがそれすらもクリアする0.01%はあると思っています。しかし実際に0.01%に値する現象があったとして「どのような説明をしたら合理的であるか」というのは考えたことがありません。いえ、むしろそういう理論を知るために知恵袋にいます。(もちろん他のブログやら掲示板やらも見ます)
その一つがcecil_scott_foresterさんの提示される理論です。
私はこの理論は魅力的だと思います。そして「現行の科学と矛盾していない」ように見えます。でもやはり矛盾までいかなくても「飛躍」があるように感じるのです。それについては説明してもらいました。
今まで、私は問題があるとしたら「土台の部分」だと思っていました。ある意味それは正しかったわけですが、これからは「メタ」な議論はやめてもう少し具体的な話をしたいと思います。
定義を決めていなかったのは「メタな議論だったから」と考えているのですが、メタな議論はすれ違うととことんすれ違ってしまうのが欠点です。
>「超常現象の解明に科学を使うことが不適である」
というのは確かに私の印象であり、cecil_scott_foresterさんの書き方が「科学」と「そうでない部分」の区分が曖昧に見えるのも私の個人的な印象です。
そしてcecil_scott_foresterさんによれば私から見て「そうでない部分」も「科学的主張の範囲である」ということでした。もっと正確にいうなら
>実験科学と理論科学では仮説の扱い方が違う
ことからcecil_scott_foresterさんにとっては「科学的な仮説」でも私にとっては「科学的ではない仮説」になってしまうんでしたね。
ここまでお付き合いしていただいてようやくわかったのですからこの溝は大きかったわけですね。
ここからは当初の予定からお待たせしてしまったとおり内容について少し具体的に踏み込みたいと思います。
余談:ところで、私が極めて実証性の高い分野(バイオテクノロジー)にいることは理論物理学が理解できないことの理由にはなりません。これは私の勉強不足と絶対的な知識量の差ですね。議論する上で必要な知識を付け焼刃で整えても仕方ないのは理解しているんですが出来る限りは努力します。
肯定派だろうと否定派だろうと懐疑派だろうと尊敬できる人はいますね。私の場合はそういう人が懐疑派に極めて多いというただそれだけの話です。唯一困っていることは「肯定派は純粋」「否定派は頑固」「懐疑派は皮肉屋」というステレオタイプが私の中で形成されていることです(苦笑)
追記:もたもたしてたら質問の補足もBA決定もできませんでした。すみません。
書きたいことは丁寧でなくともサッサと書いてしまった方がいいかもしれませんね。ちょっと忘れつつあります…。
本日(11月6日)は珍しく16時30分まで講義が入っているのでそのあとにお返事を作成します。
気長にお待ちいただけるとありがたいです。
みなさま回答ありがとうございます。
おそらく、私の批判の仕方は「回答の仕方(書き方)批判」になると考えています。つまり、内容には踏み込んでいない場合がほとんどです。
「個人的に」証明されたものと解明中のもの、科学的仮説と科学的でない仮説を分けるべきだという信念を持っていて、すべてが一緒のレベルで語られることに違和感があるのです。
私自身は非科学を許容できないわけではまったくなく、考え方は否定派よりもcecilさんに近いと思っています。
cecilさんはせっかく素晴らしい知識をお持ちなのだから短絡的な否定派には構わずに書いてほしいのです。
私も(広義では)否定派なので一緒くたに批判されても困るし、そもそもcecilさんが私を含めた懐疑的否定派のことを指して言っていると考えているわけでも科学を使えないと言いたいだろうと思っているわけでもありません。それは対話をしてきた私が十分理解しています。ただ「そのように読める」のです。とても上手く書かれているから気付かないけど対象を特定しない批判は(ギャラリーに対して)効果的ですがとても無意味です。それならしない方がいい、とさえ思っています。
肯定派が相手にすべきは科学は絶対と思っている少数派ではなく科学の適用範囲を理解している多数の懐疑派・否定派ではないでしょうか。
私は「超常現象カテ」や「血液型性格判断」の質問においてよく名指しで批判をします。
これが忌避されていることはわかっています。批判をするとほとんどの場合BAにはならないし通常の回答の3倍は疲れます。
「批判してる人はリアルで何も言えないからネットで憂さ晴らしをしている」とか「否定派はなんで必死なの?」とか的外れな指摘に耐えながらも、それでも批判相手をぼかすことによる「伝わらなさ」を回避するためならこれからもすると思います。
率直に誤解を恐れずに言うと、私にはcecilさんの回答が「霊は異次元の存在だから3次元の科学では解明できない。以上。その上で霊というのは~」という風に見えるのですね。
一見つながっているように見えてつながっていない。たぶんそこに一種の気持ち悪さを感じています。
異次元の根拠として出すRS理論も証明される可能性が高いとは言えません。魅力的ではあるけれども可能性は低いというのが一般的な理解ですよね。
cecilさんの挙げられている研究のほとんどは「過程」であってまだ証明されたものではありません。cecilさんもそのへんは理解されていると思うのですが、文脈からはそうは読めません。そして私はその文脈こそ問題にしています。
たとえばそれがこの一言に凝縮されていたりします。
>わかりやすさのためには正確さを犠牲にしてもいいでしょうか。
私の意見を書きます。
わかりやすさと正確さは対立しません。
科学というのは「絶対」がないので言い切ることができません。分野によってはとても歯切れの悪い言い方しかできません。
だからどちらか一方を犠牲にしなければいけないなら「わかりやすさ」を選ぶと思います。
もちろん科学を使わない場合にもこの考え方を適用しなければいけないと言っているわけではありません。
なんか書きたいこととはまだ違う気がするんですが上手く説明できません。
また、名前を省略してしまってすみません。
追記:上記の文章は11月1日および11月3日のcecil_scott_foresterさんのコメントを読まずに書いているので少し(ではなく)ずれたことを言っている可能性があります。
私の中には「霊が存在するとしたらどのような可能性があるか」といった具体的な理論はありません。
正確にいうなら、99.99%ぐらいは錯覚や幻覚などであると思っていますがそれすらもクリアする0.01%はあると思っています。しかし実際に0.01%に値する現象があったとして「どのような説明をしたら合理的であるか」というのは考えたことがありません。いえ、むしろそういう理論を知るために知恵袋にいます。(もちろん他のブログやら掲示板やらも見ます)
その一つがcecil_scott_foresterさんの提示される理論です。
私はこの理論は魅力的だと思います。そして「現行の科学と矛盾していない」ように見えます。でもやはり矛盾までいかなくても「飛躍」があるように感じるのです。それについては説明してもらいました。
今まで、私は問題があるとしたら「土台の部分」だと思っていました。ある意味それは正しかったわけですが、これからは「メタ」な議論はやめてもう少し具体的な話をしたいと思います。
定義を決めていなかったのは「メタな議論だったから」と考えているのですが、メタな議論はすれ違うととことんすれ違ってしまうのが欠点です。
>「超常現象の解明に科学を使うことが不適である」
というのは確かに私の印象であり、cecil_scott_foresterさんの書き方が「科学」と「そうでない部分」の区分が曖昧に見えるのも私の個人的な印象です。
そしてcecil_scott_foresterさんによれば私から見て「そうでない部分」も「科学的主張の範囲である」ということでした。もっと正確にいうなら
>実験科学と理論科学では仮説の扱い方が違う
ことからcecil_scott_foresterさんにとっては「科学的な仮説」でも私にとっては「科学的ではない仮説」になってしまうんでしたね。
ここまでお付き合いしていただいてようやくわかったのですからこの溝は大きかったわけですね。
ここからは当初の予定からお待たせしてしまったとおり内容について少し具体的に踏み込みたいと思います。
余談:ところで、私が極めて実証性の高い分野(バイオテクノロジー)にいることは理論物理学が理解できないことの理由にはなりません。これは私の勉強不足と絶対的な知識量の差ですね。議論する上で必要な知識を付け焼刃で整えても仕方ないのは理解しているんですが出来る限りは努力します。
肯定派だろうと否定派だろうと懐疑派だろうと尊敬できる人はいますね。私の場合はそういう人が懐疑派に極めて多いというただそれだけの話です。唯一困っていることは「肯定派は純粋」「否定派は頑固」「懐疑派は皮肉屋」というステレオタイプが私の中で形成されていることです(苦笑)
追記:もたもたしてたら質問の補足もBA決定もできませんでした。すみません。
書きたいことは丁寧でなくともサッサと書いてしまった方がいいかもしれませんね。ちょっと忘れつつあります…。
本日(11月6日)は珍しく16時30分まで講義が入っているのでそのあとにお返事を作成します。
気長にお待ちいただけるとありがたいです。
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