×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
12月 第1回 【読者の方からのメール】@大槻義彦のページより。
心霊肯定派の中には大槻教授が否定派の代表だと看做す風潮があるので、同じ否定派でもそれぞれ考え方は違いますよ、ということを書いておきます。
>宗教は無くなればそれに越したことはありません。
また過激な発言をするなぁ。科学と宗教はまったく別の役割を担っているということ、世界的に見て無宗教の人間の方が稀である※1ことを忘れちゃいけませんよ。重要なのは住み分けだと思います。
1と2に共通して言えることですが、ダメな部分をクロースアップして全否定しちゃいかんでしょう。そうしたら科学も同じことを言われますよ?
確かに一部のキリスト教プロテスタント、いわゆるブッシュ元大統領の支持母体だったキリスト教右派は進化論を拒否したり医学の発展(倫理的な観点からES細胞の研究に反対※2)を妨げたりしてきました。
と、いうか考え方が古いよ。皆殺しにせよと書いてあるから皆殺しにする愚を歴史の中で繰り返し、そして悔いてきたはずじゃないですか。
3については、大槻教授が合理的・効率的な方法を選ぶのは構わないです。
ただ、人間は合理的で効率的だから宗教を信仰しているわけじゃないってことです。非合理的だろうと信じてていいのです。癒し、というより救いや心の支えだと思いますが、それらに合理性は必要ないです。
もっとも大事なのは彼らの心は確かに救われ満たされているという「事実」でしょう。
大槻教授は奥さんに合理性を求めるのでしょうか。
医療行為と対立することがあっても、それはすべての宗教にあてはまることじゃないです。
大槻教授が、そして科学を振りかざす者が合理性を求めていいのは科学の領域に入ってくるものだけです。
少なくとも私は宗教は無くなればそれに越したことはないなんて欠片も思いません。
むしろ私の意見はメールの方に近いですね。
メールの内容に2つだけ答えておきます。
>お葬式に参列したり、お墓参りに行ったりする
死者を偲ぶことで生者を慰める行為であると認識しています。
>これまでの人生の中で、神仏に祈りたくなるような経験はありましたでしょうか
祈りたくなることはありますが実際には物心ついたときから祈ったことはありません。手を合わせてもお願いが出てこないんですよね。
覚えているのは「セーラームーンになりたい」ですかね。子供は妄想の生き物なんです(笑)
大槻教授の本を読んでいないので確かなことは言えませんが考え方も私と大槻教授では違うと思います。
※1:私は無宗教者で無神論者ですが海外で訊かれたら浄土真宗か神道って答えると思います。無神論者に対して根強い偏見(というよりたぶん違和感)をぬぐえない人が多いから。
※2:人類最後のタブーを参照。かなり踏み込んだことも書いています。筆者は魂についても考察していますね。魂が宿るのはいつか、腫瘍は一個の人間か、どこからを魂の宿った人間と認めるかなど訳が難しくて読みにくいですが読みごたえはあります。
心霊肯定派の中には大槻教授が否定派の代表だと看做す風潮があるので、同じ否定派でもそれぞれ考え方は違いますよ、ということを書いておきます。
人は死の恐怖、日々のストレスを抱えていますから、宗教がそのための癒しになるでしょう。しかし、宗教は無くなればそれに越したことはありません。
理由は次のとおりです。
|
>宗教は無くなればそれに越したことはありません。
また過激な発言をするなぁ。科学と宗教はまったく別の役割を担っているということ、世界的に見て無宗教の人間の方が稀である※1ことを忘れちゃいけませんよ。重要なのは住み分けだと思います。
1と2に共通して言えることですが、ダメな部分をクロースアップして全否定しちゃいかんでしょう。そうしたら科学も同じことを言われますよ?
確かに一部のキリスト教プロテスタント、いわゆるブッシュ元大統領の支持母体だったキリスト教右派は進化論を拒否したり医学の発展(倫理的な観点からES細胞の研究に反対※2)を妨げたりしてきました。
と、いうか考え方が古いよ。皆殺しにせよと書いてあるから皆殺しにする愚を歴史の中で繰り返し、そして悔いてきたはずじゃないですか。
3については、大槻教授が合理的・効率的な方法を選ぶのは構わないです。
ただ、人間は合理的で効率的だから宗教を信仰しているわけじゃないってことです。非合理的だろうと信じてていいのです。癒し、というより救いや心の支えだと思いますが、それらに合理性は必要ないです。
もっとも大事なのは彼らの心は確かに救われ満たされているという「事実」でしょう。
大槻教授は奥さんに合理性を求めるのでしょうか。
医療行為と対立することがあっても、それはすべての宗教にあてはまることじゃないです。
大槻教授が、そして科学を振りかざす者が合理性を求めていいのは科学の領域に入ってくるものだけです。
少なくとも私は宗教は無くなればそれに越したことはないなんて欠片も思いません。
むしろ私の意見はメールの方に近いですね。
メールの内容に2つだけ答えておきます。
>お葬式に参列したり、お墓参りに行ったりする
死者を偲ぶことで生者を慰める行為であると認識しています。
>これまでの人生の中で、神仏に祈りたくなるような経験はありましたでしょうか
祈りたくなることはありますが実際には物心ついたときから祈ったことはありません。手を合わせてもお願いが出てこないんですよね。
覚えているのは「セーラームーンになりたい」ですかね。子供は妄想の生き物なんです(笑)
大槻教授の本を読んでいないので確かなことは言えませんが考え方も私と大槻教授では違うと思います。
※1:私は無宗教者で無神論者ですが海外で訊かれたら浄土真宗か神道って答えると思います。無神論者に対して根強い偏見(というよりたぶん違和感)をぬぐえない人が多いから。
※2:人類最後のタブーを参照。かなり踏み込んだことも書いています。筆者は魂についても考察していますね。魂が宿るのはいつか、腫瘍は一個の人間か、どこからを魂の宿った人間と認めるかなど訳が難しくて読みにくいですが読みごたえはあります。
PR
この記事にコメントする
ブログ内検索
カレンダー
最新コメント
(09/07)
(08/12)
(06/15)
(06/15)
(06/11)
(06/11)
(05/24)
(05/24)
(05/24)
(05/23)
最新記事
(01/21)
(06/10)
(05/22)
(05/20)
(05/04)
(02/24)
(01/15)
(01/14)
(08/29)
(08/28)
カテゴリー
カウンター
アクセス解析