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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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そろそろメルマガが半分になったので何をしてるかちょっと話しておきます。
どうせアクセス数少ないしね。

HPの記述だけでなんだか香ばしい創生水のサイトですが、メルマガ二本立てはすごいですよ。
見かけの相関が因果関係であるような記述のオンパレードで経皮毒の恐怖を煽ったり、水道水や洗剤を使うことは自分や家族の健康を害するとても危険な行為であるとほのめかしていますね。
何がショックかって、私が住んでるところに本社があるんですよね…。
新幹線の改札口(1つしかありませんよー)にでかでかと広告が出てますし。まあJRにしてみたら、お金を出してくれるのが重要で、商売の中身が重要じゃないもんね。
とりあえずメルマガの中身が酷いですね。
企業がこんな情報流していいのかしら。しかも、真新しい情報なんて一個もないんですよね。
「根拠薄弱なお粗末な経皮毒の恐怖」なんです。
これなら経皮毒関連本のほうがよっぽど(資料として)役に立つんだけど、まあせっかくなので1周するまではメルマガは解除しない予定です。
ぼったくり商売をするのはまあいいとして(良くないよ!)経皮毒を煽るのはいい加減やめてほしいな。

っていうか、イオン交換水とかもっと純度の高いミリQとかあるけど、あんまり飲みたいと思わないなぁ。イオン交換装置に200万か…。
ただ、軟水にしてくれるんなら石鹸は快適に使えるんだろうと思います。
ここではもともと石鹸は快適に使えますけどね。

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こういうとき、ニセ科学批判批判を受けるニセ科学批判者の気持ちがわかる気がする。
具体的な言及が一切ない「外から見るとみっともないからやめたら~?」という発言は、議論には一切の影響を与えないのだけど、議論を見ている第三者には影響を与えうる。
全部読んできたのならなぜ「罵り合いになっちゃう」の?
4月以降はものっそい煽ってることがまあ誰の目にも明らかですが、煽らずにいられない状況にした原因は誰なのかをまず考えてほしいです。
そもそも、優しい人たちの中では「煽ることがまず悪」「相手の意見を否定的に見ることが悪」なんでしょうか。
じゃあ私も「レッテルを貼ることがまず悪」とでも言っておきます。


入院をなんとか免れた程度の人がぱったりとこなくなったら普通は「悪化して入院しちゃったんだろうか」と思うでしょう。自分の体とこの議論ならどう考えてもとるのは前者ですよね。だから「ご自愛ください」と書いてあるのですよ。
それがとうとう4月に知恵袋を再開したので「全快したんだなぁ、良かった」と思うのはそんなにおかしいことなんでしょうか。きっとしばらくのちに返答してくれる。礼儀を重んじる人だから一言ぐらいは書いてくれるはずだ、と思うのが的外れなんでしょうか?
私は、知恵袋とこの議論は関係ないから知恵袋への回答は制限しないとあらかじめ言ってありました。
それなのに「知恵袋を再開したのは間接的に中断の理由を示唆するための手段」と言われて理解できる人がいらっしゃるのならその脳を分けてほしいです。
ずっと相手を心配していた私に対して、あいつ早く諦めないかなと思われていたとわかったらそりゃ感情的にもなりますよ。他の人はならないんでしょうか。
否定派は夢がないとか冷淡だとか言ったり、感情的では議論ができないと言ったり、なんなんですかもう!
そりゃ人間だもの、感情的にもなるよ。

西洋合理主義に対して「それはこういうことでしょうか、でもそうなら私が言ってることと少し違いますね」→スルー
論文を例えに用いたことに対して最後に【論文病だと思った】けど違った。なぜわざわざ論文病と言わなければいけない?違ったんならそっと胸にしまっておいてください。
科学主義に対して「科学的仮説に科学的な態度で臨むことがなぜいけないの?」→返答待ち

これだけされたら腹に一物も置きたくなると思うんですけど。
「お前はわかっていない」
という指摘は、何も指摘していないのと変わらないと思いませんか?
「私はこういう意味で言ったけどあなたはこう取った、それは(こういう理由で)違います」
と指摘してくれないと理解できない人もいると思いません?
「理解できない奴は放っておけばいい」
そうしたいのならそうすればいいと思う。
それは、理解を拒む態度だということを覚えておいてくれれば。
私は、科学的仮説の中身が知りたかったから訊きました。
科学的な仮説に対してそのような心構えが必要じゃないことを私は知っているけれど、できる限り譲歩してどのような態度であり続けるべきか探ってみたけれどよくわかりませんでした。
私は、後から読んであのときは科学的態度、あのときは論理的、あのときはどちらもはずしていたなんて言えるほど記憶力が良くないです。

今一度「理論物理学では問題ない科学的な仮説に対して科学的な態度で臨むのがなぜいけないのか」を教えていただきたいのです。
最近書いたものはそのうち議論が再開するようならまとめて質問します。
そうそう、リンクだけ示して読めってのもずいぶん乱暴だと思います。リンク先の内容を要約するぐらいしてもいいと思います。


誰かが、ニセ科学批判批判とオカルト批判には同じ構造を見るって言ってたけど、私もニセ科学批判とオカルト肯定になぜだか似たようなものを感じてしまうんですよね。
その「似たもの」は上述したような排他的な何か。
それが私がニセ科学といわれているものを批判してもニセ科学批判者にならない理由。
あ、最近はニセ科学批判というものは虚構だニセ科学を批判するという程度の循環論法程度しかないという結論がついたのでしたっけ。
でも、ニセ科学批判者の気持ちもよくわかるってのは矛盾しているんですかね?
ただ、ある部分は重なっててある部分は重なっていない、私の場合はその重なってない部分が多いってだけの話だと思うんだけど。


私は、cecil_scott_foresterさんに他のオカルト肯定者とは違うものを見ていて、期待していました。
もやもやしたものがこの議論で解消されると信じていたのですが、それは晴れることはありませんでした。むしろ、もっと濃くなって私の視界を奪います。
議論が終わるにしろ終わらないにしろ、今回の体験を今後に生かせるように少しまとめなきゃいけないですね。
そのとき、私は分類のためにcecil_scott_foresterさんにオカルト肯定者以外のもっと具体的なレッテルを貼らなければいけません。でも、それは議論が終わった後です。
議論中にレッテルを貼る行為は、健全な議論をするつもりがない人だ、というレッテルを私は貼ります。
そうじゃないのなら、健全な議論をして見せてほしかった。

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議論でレッテルを貼ることの無意味さ1の続き。

主にcecil_scott_foresterさんに対するコメントです。


でね、話をレッテル貼りに戻して、私が大嫌いなレッテル貼りをなんでスルーしていたかっていうと、本題とまったく関係ないからです。
私が「科学主義者」だとして、科学的な命題に対して科学的な態度で臨むのに何か問題があるんですか?
ずっとわからなくて、それを聞きたいのに4か月待たされて、こちらから催促するまで無視されて、挙句の果てに「お前は余計な一言を言った」「否定派は理解するつもりがない」ですよ。
説明してくれないものを理解できる人はあてずっぽうでたまたま当たった人か、超能力者なんだと思います。
残念ながら私はどちらでもありません。

あのね、余計な一言を言いたくなるようなことを自分が言ってないか、考えた方がいいです。
余計な一言は健全な議論の邪魔をします。
簡単に脇道にそらしてしまいます。
私はそれが嫌だった。「異次元仮説」を理解する最初で最後のチャンスと言ってもよかったから、私はどんなレッテルが貼られようとも無視しました。だってそんなちっぽけなことに拘って本題が進まないのが嫌だったから。
でもね、
私のあのコメントは【余計な一言】じゃないんです。
あれを【余計な一言】と言ってしまえるあなたはきっと、私が書いたことを理解していません。
なぜ適切な引用をしてくれないのですか?
あなたが【余計な一言】と言ったあのコメントは、

「私たちが特異な体験の眼を使うとき、論理的思考の眼は働きをやめる。論理的思考の眼を使うときは、特異な体験の眼は働きをやめる。」
つまりcecilさんはこの主張を「真」としており、haresoraはそれが捨てきれていないから話し合いができない、と。
なんかちょっと馬鹿にされた気分ですね。

でひと固まりなんです。
「haresoraにはそれ(論理的思考)は捨てられないだろう」とおっしゃっているのなら「馬鹿にされた気分」なのです。

あの、私の中では論理的思考と超常体験を聞いたときの不思議な気持ちは対立しません。それぞれを両立する術を私は知っています。少なくとも不思議なことは不 思議であると留めておける程度には私は理性的です。私とメイヤー、メイヤーの出会った科学者と私はそれぞれ別個の人間です。彼女が会った科学者の態度もそ れぞれ違ったはずです。
それなのに彼女のケースを私に当てはめるというのは私はそれだけ見縊られていた、ということになります。最初にレッテルを貼って相手の態度を決めつけるな、と言いましたよね。
http://kuroha.blog.shinobi.jp/Entry/38/

「私とメイヤー、メイヤーの出会った科学者と私はそれぞれ別個の人間です。彼女が会った科学者の態度もそれぞれ違ったはず」なのに別個の人間であるはずなのに私に対 して「彼女のケースを私に当てはめる」つまり、私個人を見て判断するよりもメイヤーのケースがすべてである当てはまるはずだとして私に適用した、そのことに対して「私はそ れだけ見縊られていた」と言ったのです。
私とメイヤーの出会った科学者は違います。
それなのにあなたは私にありもしないレッテルを貼りました。
そのことに対して「最初にレッテルを貼って相手の態度を決めつけるな、と言いましたよね。」と言ったのです。


ここまで言わないと理解してもらえないんでしょうか。
私は、言いたいことはあのコメントに書いたつもりです。
「おまえの『つもり』は理解できない」と言われるかもしれません。

じゃあ聞いてくれよ!

なんで勝手に相手の態度を決めつけて話をする価値がないと判断してしまうんですか?
あと一言「その理解は違うよ」と諭す価値すらなかったのでしょうか。

私が科学的な態度を崩さなかったのも、レッテルを貼られてもスルーしたのも、cecil_scott_foresterさんの異次元仮説を知ることの方がずっと大事だったからなんですよ。
あなたは異次元仮説を「科学的である」と言いました。
科学的な仮説に対して科学的でない態度をとることは失礼に当たります。
だから、私は全力で科学的だったのです。
私は話が進まないのは私自身がまだまだ未熟で科学的な態度が足りないのかと思って、これでもかというほど頑張っていました。背伸びしていました。

私の態度が問題だったら「最初に科学的な態度で臨まないでくれ」と言えば良かったのではないですか?それを言ったら私が「ふふーん、やっぱり疑似科学じゃない」とでも言うと思ったのですか?
私は「出発が個人的で主観的な体験談でも構わない」と言いました。
それなのに、もし、そう思われていたのなら、やはり私という人間は「見縊られていた」んだと思います。

私の言葉を裏読みする前に、私に「お前のコメントは意味がわからない。どういう意味だ」と聞いてください。
至らないこともあるかもしれないですが、私は、ちゃんと誠実に答える努力をします。


私は、私がレッテル貼りに拘ることを「くだらない」と思っています。
あなたも、そうは思いませんでしたか?こいつはなにを細かいことに拘っているんだと。
もちろん、レッテル貼りは嫌いですよ。
でも、もっと大事な話が目の前にあるのになんでこんな話をしなければいけないんだ、と思います。
同様に、私の【余計な一言】が気になるという話も、同じぐらいどうでもいい話です。
あなたは相手を罵倒するような人間じゃないことを私は知っています。
同様に、私も相手を罵倒するような人間ではありません。知らなかったならぜひ覚えておいてください。
私とあなたが相手を思いやって議論をする限り、罵倒し合って終わることは絶対にありません。
私は議論を円滑に進めるために最大限の努力をしています。
一体何が不安なのでしょう。

あなたにとって、あなたの仮説を多くの人に知ってもらうことの方が、誰かの些細な【余計な一言】を気にすることよりも大事なんじゃないんですか?




彼が、私のコメント通りに私のブログにコメントを書きに来たら、この記事に気付くかもしれません。
それまではしばらく「私がレッテル貼りに拘ることがいかにくだらないか」を嫌というほどその身に刻んでもらおうと思います。
書いてちょっとすっきりしました。
よし。もうひと頑張りするぞ!絶対に折れませんよ?だってここで折れたら相手の思うツボで悔しいじゃないですか。


追記:助詞や接続詞を編集しました。
文章を書くのが下手ですみません。

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知恵袋でのレッテル貼りの話

確かに私は「疑似科学的で危ないなぁ」って思ってたけど、それを口に出したことはないですよね。
それは、口に出して(明示して)相手に「私はあなたのことをこう思ってるんですよ」ということで相手との関係が崩れる可能性があるからです。
そもそも、私は「疑似科学的である」とは思ったけど「疑似科学」だから「排除」して「却下」しなきゃいけないなんて思ってないし。
科学の領域に踏み込み過ぎているんだったら今の立ち位置を確認して直せばいいんじゃないか、って思ってるだけなのに。
だってさ、「あなたの主張が疑似科学的に見えるのでお話をお聞かせ下さい」って言われたら嫌でしょ?
同様に、「あなたは科学主義者で、科学主義ではこの問題を解決できない」って言われても「私は科学を脇に置いておくことはできます」って再三言ってるのになんでそういうレッテルを貼られちゃうかなぁ。

もちろん、相手にレッテルを貼ることで得をすることはありますよ。
でも、それは議論に「勝つ」目的で行うものであって、「相手の意見を深く知りたいとき」にするものではないですよね。
そんなことをしたら一時的にでも築かれていた議論の相手に対する信頼関係は崩れます。
それが的外れだったらなおさらです。っていうか、せめて具体的にどういうところがいけないって言われたらまだ意義のある指摘だと思いますけど、レッテルを貼るというそれだけじゃいったい私にどうしてほしいのかがわからなくて本当に困惑させられます。
「もしかしてこの人はまともに話をする気がないんじゃないか」と思わせるには十分だと思いますよ。


私は、おそらくものすごくゾーニングに拘る人間である自信があります。
科学が科学の領域にいる間は、宗教が宗教の領域にいる間は、オカルトがどの領域も侵さなければ不干渉を決め込むけれど、その領域を侵したら、たとえ科学だとしても科学の領域をはみ出して宗教の領域を侵したら批判します。

私は、科学というものを信用しています。
それは科学に自らを正す性質があるからです。
だから、科学を使う者は謙虚でなければいけないと思ってるんですよね。
あ、ここは別に強制してないですよ。
私は謙虚に向き合いたいし、領域を踏み出してまで「科学的じゃない」なんて言いたくないです。
そこらへんを自覚できるようになったのはここ1年ぐらいで、それまでは「科学で神や幽霊を否定する権利なんてあるのか」なんてことを真剣に考えてました。
それで、最近行きついた私なりの回答が「領域を守れ」ってことです。
はみ出しちゃいけないって言ってるわけじゃないです。
ただ、はみ出した結果他の領域を侵してしまったらその領域のルールを適用すべきではないの、ということです。
元はオカルトだから科学の領域に入ってしまっても証明できてなくても許されるってんでなくて、元がなんであれ科学の領域に入っちゃったらその領域のルールに従いましょうよってことなんですけど。

だって、野球小僧がサッカーやるときはサッカーのルールに従うでしょ。
「俺は野球しか知らねーからボールは手で投げるんだ!」じゃ通用しませんよね。
反対にサッカー少年(なんで野球は小僧でサッカーは少年なの)が野球をやるときに
「サッカーでは11人で戦うんだぜ、知らねーの?」
って言って野球のルールを無視する人はいませんよね。

「ルールは守るべし」という規範があって、それをよしとしたはずなのに、なんで自分勝手にルールを捻じ曲げちゃうんだろうね。

つい熱くなって別個の話が盛り上がりすぎたので記事を分けます。

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興味深い記事を読みました。

ブリーチによる驚くべき新しい子どもの皮膚炎治療法(食品安全blog)

お風呂にキャップ半分の漂白剤をいれたものに週に2回、5-10分浸かることでプラセボ風呂より速やかな改善が見られた。


uneyamaさんが書かれているように、アトピー患者がもっとも嫌いそうな方法ですよね。
というか、普通は肌に優しくしなきゃって思っちゃいますよね。
でも、子どものアトピー症状の改善には石鹸でしっかり汚れを落とすことも大事なんだそうです。
だから、清潔指向の高い日本ではもしかしたらあまり効果が高くないかもしれないですね。

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