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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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「博士も知らないニッポンのウラ」


見てみたかったんですよねー。宮崎さんは結構好きです。
っていうか、喋るの速すぎです(笑)

消されちゃうかな?

追記:
水伝:「shine」と書いたらどうなるか?って言う話があるよね。汚い結晶を作ったら日本の水、綺麗な結晶を作ったら英語圏の水っていう。

スピリチュアリズム:「自我が弱いならなぜ自我を強くする(確立する)努力をしないか?」
①気づいていない②だからこそ弱い
の両方だと思う。そんなことできたら頼ってない。

合理的な人間でもどこかに非合理があっても良い。
私もそう思う。

騙されないぞーと身構える→考える→本当っぽいな→「私が」本当だと思ったから本物だ
は危険なカスケードです。

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はてなアンテナが便利そうだったので私もRSSを使ってみようと思いました(?)
いえ、はてなに登録するのが面倒くさかったので以前登録したまま使ってなかったlivedoor Readerを使ってみようかと思いまして、手始めにlivedoor関連の情報・ニュース・お知らせなどの配信を停止し、Gyaoも停止しました。
すっきりしたので試しに自分のブログを登録しました。

あ、mixiと自分ですね(苦笑)

一通り慣れたら自分のは削除して使ってみようと思います。
年に数回しか更新されないWatchサイトが存在するのでそういうとき便利だなぁと。
はてな界隈は「情報の共有」という意味ではすごく発達していますね。

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向こうのブログ用の記事ですがこちらにも。

詳細は【Yahoo!知恵袋】心の状態で呼気に毒成分が含まれる?という研究をどうぞ。(12/11)リンク修正しました。
最近「エルマ・ゲイツ」で検索してきた人がまたいたのでYahoo!で検索してみました。


吐く息でわかる人間の感情(夕刊フジ)

米国の心理学者、エルマ・ゲイツ博士は、人間の吐き出す息をガラス管に集める実験を行いました。その息を液体空気で冷やすと、色のついた沈殿物がで きました。怒っているときの沈殿物は栗色で、悲しんでいるときはグレー、悔やんでいるときは淡い紅色でした。博士が栗色の沈殿物を水に溶かしてネズミに注 射したところ、ほんの数分で死んでしまったとのこと。ところが、健全な人間の吐き出す息の沈殿物は、なんと無色だったそうです。

 人間が怒りの感情を1時間も持続すると、80人のヒトの命を落とすほどの毒物が発生するといわれています。私たちの血液も、怒ると黒い褐色で渋くなるそうです。


うわっ。こんな記事が出てたなんて知らなかった。しかも最近(2008年10月20日)。
っていうかさ、だからソース持ってこようよー。私もソース知りたいんですよ。

>私たちの血液も、怒ると黒い褐色で渋くなるそうです。
怒る、すなわち興奮するとアドレナリンやらノルアドレナリンやらが分泌されますよね。そういう意味でしょうか。たとえばアドレナリンが分泌されると血糖値が上がるそうです。…渋く?


夕刊フジがこれを扱ってるとは思わなかった。(といっても夕刊フジの信頼性がどこまで高いのか知らないんですが)
もしかしてこの言説は最近流行っているんでしょうか?


研究室で話してたんですが、なんでこの怒り続けている人は死なないんでしょうね?たぶん、怒ってる本人が真っ先に毒でやられると思うんですよ。
こ の話が事実だとすると「この人の死因は怒りすぎによる毒物中毒死だ」とかっていうのがいくつか起こってもいいと思うんです。だってたった1時間怒ってただ けで80人を殺せる毒物が作れるんですよ?1人分はたった45秒、インスタントです。っていうか、そうすると紛争頻発国とか戦時中とかは謎の憤死が多発しててもおかしくないんじゃ……あったとしてもおか しくないなぁ(何)
そうすると、怒り続けて毒物を精製(あるいは調製)したものをコーヒーとかに混ぜて毒殺、とかも成り立つわけですよ。そうする と他殺なのに「この人の死因は怒りすぎによる(ry」とかいう完全犯罪も成り立つことに!これはどのミステリー小説も書かなかった不可能犯罪では?(そも そも犯罪を行えないという意味では不可能犯罪だけど)



ところがぎっちょん、ゲイツ博士は実はホルモン(内分泌物質)のことを言ってたんじゃないよね…?
精製したL-アドレナリンL-ノルアドレナリンはマウスやラットでみるとけっこう毒性が高いみたいです(LD50=20~30mg/kg、ヒトでのデータはありません)
淡黄褐色の結晶性粉末、空気中で褐変するとか、若干あやしめですよね。
でも、ホルモンだから当たり前なんですが中性の水に対して難溶性なんですよね。
気化するのは性質上あり得ないんじゃないかと思います。

今のところまったく根拠がないし矛盾が多いし、ゲイツ博士がそんなことを言ってたのかはわかりませんが、こう考えてみると科学的……?……そうか?

もし、万が一、仮に、これが成り立ったとしても、エルマ・ゲイツ博士の実験の話は不適当な形で流れていると思うのです。私だったら確実に疑似科学認定しま す。というかしてます。
それでも断定できないのは自分が満足するまで調べてないからです。
実際に調べようにも原著に当たるのがかなり難しいし、むしろ日本で流行らせた根源のほうが知りたかったりしますが、あんまり興をそ そられないんですよね…。これってどこまでちゃんと調べられているんでしょう?

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12月 第1回 【読者の方からのメール】@大槻義彦のページより。

心霊肯定派の中には大槻教授が否定派の代表だと看做す風潮があるので、同じ否定派でもそれぞれ考え方は違いますよ、ということを書いておきます。

人は死の恐怖、日々のストレスを抱えていますから、宗教がそのための癒しになるでしょう。しかし、宗教は無くなればそれに越したことはありません。
理由は次のとおりです。
  1. 大宗教の考え方はあまりに古いし、非合理的です。たとえばカソリックの一部は進化論を拒否し、正しい医療行為を否定します。なにしろ大宗教は3,000年、2,000年昔の自然観、生命観なのです。21世紀の文明にはそぐわないのです。
  2. 大部分の大宗教は戦争を肯定しています。その教団に従わない者を「皆殺しにせよ。」と教えています。キリスト教、イスラム教はもちろん、仏教ですら、大乗仏教経典には、「敵対する者を皆殺しにせよ。」と教えています。
  3. 癒しのやり方も非合理的です。どうせなら、臨床心理学の大学院卒の専門家のセラピーのほうが合理的です。彼らは最新医学の成果も取り入れ、セラピーの副作用のことも考慮するからです。
12月 第1回 【読者の方からのメール】@大槻義彦のページ

>宗教は無くなればそれに越したことはありません。
また過激な発言をするなぁ。科学と宗教はまったく別の役割を担っているということ、世界的に見て無宗教の人間の方が稀である※1ことを忘れちゃいけませんよ。重要なのは住み分けだと思います。

1と2に共通して言えることですが、ダメな部分をクロースアップして全否定しちゃいかんでしょう。そうしたら科学も同じことを言われますよ?
確かに一部のキリスト教プロテスタント、いわゆるブッシュ元大統領の支持母体だったキリスト教右派は進化論を拒否したり医学の発展(倫理的な観点からES細胞の研究に反対※2)を妨げたりしてきました。
と、いうか考え方が古いよ。皆殺しにせよと書いてあるから皆殺しにする愚を歴史の中で繰り返し、そして悔いてきたはずじゃないですか。

3については、大槻教授が合理的・効率的な方法を選ぶのは構わないです。
ただ、人間は合理的で効率的だから宗教を信仰しているわけじゃないってことです。非合理的だろうと信じてていいのです。癒し、というより救いや心の支えだと思いますが、それらに合理性は必要ないです。
もっとも大事なのは彼らの心は確かに救われ満たされているという「事実」でしょう。
大槻教授は奥さんに合理性を求めるのでしょうか。

医療行為と対立することがあっても、それはすべての宗教にあてはまることじゃないです。
大槻教授が、そして科学を振りかざす者が合理性を求めていいのは科学の領域に入ってくるものだけです。

少なくとも私は宗教は無くなればそれに越したことはないなんて欠片も思いません。
むしろ私の意見はメールの方に近いですね。

メールの内容に2つだけ答えておきます。
>お葬式に参列したり、お墓参りに行ったりする
死者を偲ぶことで生者を慰める行為であると認識しています。
>これまでの人生の中で、神仏に祈りたくなるような経験はありましたでしょうか
祈りたくなることはありますが実際には物心ついたときから祈ったことはありません。手を合わせてもお願いが出てこないんですよね。
覚えているのは「セーラームーンになりたい」ですかね。子供は妄想の生き物なんです(笑)

大槻教授の本を読んでいないので確かなことは言えませんが考え方も私と大槻教授では違うと思います。


※1:私は無宗教者で無神論者ですが海外で訊かれたら浄土真宗か神道って答えると思います。無神論者に対して根強い偏見(というよりたぶん違和感)をぬぐえない人が多いから
※2:人類最後のタブーを参照。かなり踏み込んだことも書いています。筆者は魂についても考察していますね。魂が宿るのはいつか、腫瘍は一個の人間か、どこからを魂の宿った人間と認めるかなど訳が難しくて読みにくいですが読みごたえはあります。
 

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コメント欄で私の思想の形成には銀英伝と十二国記を引き合いに出したので少し書いておきます。

思想といっても論理的な考え方やテクニカルな部分ではなくてもっと根本的な部分の話です。

さて、あらかじめ断わっておきますがすべての人が同じ本を読んでも同じメッセージを受け取るわけではありません。人の感じ方は十人十色でありどれか一つが正しいわけじゃない。だから人間の感性って面白いって感じるし、なるほどーって目から鱗が落ちるのですよね。



銀河英雄伝説について。
帝国(専制君主制)と自由惑星同盟(民主共和制)の戦争の話。
常勝の英雄ラインハルトの知略に富んだ戦略と不敗の将ヤンの奇抜な戦術が見どころ。
政治的な生臭さも絡んできてすごく面白いです。
詳しくはWikipediaの銀英伝をどうぞ。

さて、内容については少し置いておきましょう。

ラインハルトは軍事的にも政治的にも天賦の才を持っており、専制君主制とはいっても民衆にとっては賢君である。他方、自由惑星同盟の政治は腐敗しきっており、民衆は疲弊しきっていた。戦争の結果、自由惑星同盟は帝国の統治下になるのだがヤンはそれを拒み辺境で民主共和制の芽を残すことを選んだ。
なぜかというと、どんなに優れた者でも死から免れることはできないから。賢君の後を継いだ者が賢君であるとは限らない。また、賢君が暴君にならないとも限らないから。歴史上、素晴らしい統治をしていた王が晩年になって道を踏み外すことが何度もあった。
そのとき、賢君に政治を任せっきりにし、依存することに慣れた民衆はどのように自分たちを救えばいいのだろうか。民主共和制は(直接的あるいは間接的に)代表を選ぶ権利が民衆にある。すなわち代表の失策は民衆の失敗なのである。そして腐敗したときに批判するための言論の自由があり、代表をやめさせることもできる。責任を他者に押し付けるのではなく、自らが責任を自覚し考えることで最悪の事態になったときでも対処できようということ。
もし帝国が腐敗したときに民主共和制というものがあったら人々はそこに希望を見いだせるかもしれない。だけど民主共和制の芽が摘み取られてしまったら寄りかかることに慣れた民衆は自分たちを救うすべを見いだせないかもしれない。そのために残しておくのだ、と。

なんだかゲーム理論みたいですね…。
BestでWorstよりもBetterでWorseを選ぶって感じですよね。

現実には専制君主制でも素晴らしい国があるみたいですね。たとえばアルジャジーラのあるカタール。反対に北朝鮮のように民衆から搾取しか行わない独裁政権もあります。
私は、今の政治に満足しているわけでじゃないですが間接的にも国のトップを自ら選ぶことができ、不満や批判を自由に言える民主国家に生まれて良かったと思っています。いつでも政治批判ができるように選挙もちゃんと行ってますし、投票するからにはマニフェストには目を通します。※1
確かに1人の天才は百人力であるかもしれません。でもそんな天才は滅多に現れません。
それよりももっと1人1人の力は小さくても着実で確かなものを当たり前のように認められるようになってほしいと思っています。※2



次に十二国記について。
賢君でもいつかは死んでしまう。ならば統治者が死ななければいつまでも治世が続いていくのだろうか、ということを題材にしたのがこの物語。
詳細はWikipediaの十二国をどうぞ。記事が完璧すぎる!

さて、ここでも内容は置いておきます。

十二国記の世界には当たり前のように神が存在します。なんたって王(統治者)や官僚が神仙ですからね。
神は私たちの世界とは違って人間たちの様子をちゃんと見ていて救ってくれることもある。でも、実在する神様にはできないこともある。この世界の人たちは神頼みをしない。とても現実的で、生きるために必要なら詐欺でもスリでもなんでもする。
主人公はそんな異世界で人々に助けられ信頼し、でも裏切られ傷つけられた。
信じて裏切られると相手を信じた自分の心が傷つく。だから信じなければ裏切られない裏切られても心が痛まないと人間不信になってしまう。
そのために主人公は善意の助けを拒んだりもした。優しくするのは何か裏があるからだ、と。
しかし人との交わりの中で見返りを求めない人々の優しさに触れて主人公は自らを惑わせていた疑念に打ち勝つ。信じた者が同じだけの信頼を返してくれなくてもいい、裏切られてもいい。そのことによって相手を信じた自分自身には何も傷つかないし信じたことが無駄になるわけじゃない。裏切った方が自らを貶めているのだ、と。

私だったら人間不信のまま野垂れ死んでいますね。

だから私は基本的に人に優しくしますし、人の話を信じることにしています。
でもね、すべてを肯定してあげることがその人のために絶対良いかっていうとそうじゃないですよね。
同意できないことは同意できないと言い、間違っていることは指摘してあげることこそが本当の優しさなんじゃないかと思っています。※3


最初にも書いたとおりこれは私の考え方の根本ですがみんながこう思っていなければならない!なんて全然思っていません。
だって、どんな考え方(行動に移していいかは別ですよ)をしていても許される国にいるわけです。むしろ、こんなにしっかり書いたのは初めてです。普通の議論や日常生活はこんなところを晒さなくてもできますしね。
というか、人前に晒さない部分なので風化しにくく静かに信念を深めることにもなるんですけどね。


説明がスケールダウンしたorz
でもこれ以上は思い出せなかったですすみません。
あと、カタールをカタロンって書きそうになった(苦笑)


余談:
十二国記の「責難は成事にあらず」って名言ですよね。
誰かを責め、非難することは何かを成すことではない。いつも肝に命じています。
相手の欠点や間違いを指摘し対照的に自分の優位性を示すことは何かを成したことにはなりません。
批判だけして「してやったり」って思ってても実は何にも進んでないよって話。
思えばこの王様は自分の考えを過信し自ら確信を深め他者の諫言を聞き入れなかったから身を滅ぼしてしまったのでしたね…それを思うとなんだか切ない気分になります。

田中芳樹では「英雄は色を好む、しかし色を好むものが英雄だとは限らない」というフレーズをずっと覚えています(富山さん…)
逆は必ずしも真ならず、論理学では基本ですがこれって意外とみんな間違って使ってますよね。AはBである、だからBはAだろみたいな。
この言葉を知っていたおかげで早い段階から少数の事例を一般化して語る愚を犯さずにすみました。


※1
:両親に昔、聞いたことがあります。
「なんで投票に行かないの?」
と。そうしたら
「投票に行っても意味がないから(変わらないから)」
と言われました。私はそのとき覚えたての(笑)
「義務を果たした人だけに文句を言う権利があるんじゃないの?」
という言葉を言いました。
変わらないと嘆いて何もしないんじゃ変わらなくて当たり前じゃないかと。せめて変える努力をしてから嘆けよな、というなんだかとっても中二だったんです(苦笑)
それから、全部に行ってるかはわからないですが親は投票に行くようになりました。
※2:そういう意味では田中さんをやめさせた長野県民は、首相の首をすげ替えて満足している日本国民は小さな歩みというのを認められない人たちなのかと思ってしまいます。
というかむしろ支持率にこだわらずに政治をしろよ、プロだろ?と。
※3:もちろん程度にもよりますよ。
相手との親密さや話題の重要さによって対応は変わります。

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