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投稿しようかまだ迷っているところ。
この書き方で通じるのかな?と思ってちょっと寝かせているところ。
科学の適用範囲はほんのわずかである。
サイエンスカテにいらっしゃる方なら「科学は万能である」とは言ったりしないでしょう。
心霊現象や超常現象批判を行うと必ずついてくるフレーズがあります。
「科学はまだまだ未熟であり万能ではない」「科学には限界がある」などです。
この事実から「超常現象の解明に科学を使うことが不適である」ということにつながるのでしょうか。
個人的な考えになってしまうのですが、科学でわかることが少なかろうと科学が万能でなかろうと「科学の範囲に入ってきた事象については科学を用いる」のがもっとも適していると考えています。
たとえば心霊現象や超常現象(そのほとんどが物理現象を伴います)を解明するときに科学を用いなかった場合、どんな方法を使えば解明の助けになるのでしょうか?
ただしその方法とは多くの人が共有できる方法を指します。
また、知恵袋のような場所において回答(説明)をするとき、わかりやすくするために誇張して回答するのは「あり」でしょうか?
たとえば「ある科学的根拠(仮説)」を元に「ある主張(説明)」を行ったとします。
そのとき根拠と主張(説明)の間に飛躍があり、その根拠からはそんなことは言えなくてもわかりやすさのためには正確さを犠牲にしてもいいでしょうか。
これはサイエンスカテだけではなくすべてのカテゴリで回答する場合を想定してお答えください。
ところでこの質問は他の質問から派生していますのでそちらをご覧いただくと質問に対する理解が得られやすいかと思います。>URL
このリンクをたどっていくとDBH(ドーパミン
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/BloodDBH.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/BloodMAO.html
たとえばABO遺伝子
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/projects/mapview/maps.cgi?TAXID=9606&CH...
私自身はバクテリアの
DBHが性格(気性)
また、O型の人がMA
これらの関連性を言い
ABO遺伝子とDBH
埋もれる前にこっちに引っ越しておきます。
血液型性格判断の根拠としてDBHとMAOの話を出されたので調べてみました。
といってもNATROMさんのところを引用しただけなんですが(汗)
とりあえずこの件について根拠を求めたのですが返答していただけなかったようなのでまたきいてみます。
もしかしたらポジティヴな結果があるかもしれないですし。
血液型性格判断(ABO FAN的にいうと「血液型と性格」か)に関しては今あつーい議論がされてるのでABO FANさんのブログから飛んでみると面白いかもしれません。
しかし、ABO FANさんはなんで「オレ定義」で皆さんと話そうとするんでしょう。
いやいや、オレ定義でも良いんですがオレ定義であるからには定義を話さなければならんでしょう。
それをしないで『私がしているのは「血液型と性格の関係」で「血液型性格判断」は占いです』なんて言っちゃ「科学的」とは言えないんじゃないかなぁ。ま、私には関係ないですが。
参加者全員がそう感じているわけではないと思うのですが、知恵袋とは「発展途中」を書くのではなく、今わかっている知識を提供する場だと思っています。
ということで、
1.わかっていること
2.確かではないけどそうだと思われること
3.確かではないこと(ほとんどわかっていないこと)
っていうのは明確に区別して書くべきで、2を1に、3を1や2に見せかけてはいけないというのをとても肝に命じています。
今回問題にしていることは
3を2に、2を1に見せかけていませんか?ということで、こういう質問をしてもいいとは思っているんですが、たとえば1対1で議論の平行線をたどるようなことはやはり掲示板やブログが向いていると思います。
答えが1つで、Yes/Noで明確に答えられることなら知恵袋は向いているでしょう。
しかし残念ながら知恵袋で局所的に行われる議論の多くは「答えが見えてこない」のです。
これは知恵袋の性質上仕方のないことなのですが、せっかく素晴らしい知識を持った方が応えてくださるのに平行線をたどるのはもったいないと思うのです。
あと、今年の4月からの占いカテでの指名質問に不快感を抱いていた者としては同じような流れに持って行きたくないという気持ちもあります。
言い方は悪いですが、出来レースのような感じに「ある程度のコンセンサスが得られるまで」ここで少し堅苦しくない話し合いをしませんか、ということです。
ブログの議論は「形を決めない議論」、知恵袋は「見せるための議論」ということで了承してほしいと思います。
ようは、一段低いところでもう少し双方の言い分(前提条件など)を書きあって共通の認識の下に書きませんか?という相談です。
補足:今日までほとんど動けなかったのはこちらの個人的な都合です。申し訳ないです。
金曜~日曜:学校祭の出店の手伝い
日曜~月曜:月例の研究報告会+風邪
以下、知恵袋より転載
「科学」に対する質問
連続でいくつか質問を 興味のない方はどうぞ ********** 「科学的に証明された できればなぜそう思っ 1.メカニズム(原理 2.メカニズム(原理 3.メカニズム(原理 4.「科学的に証明さ 5.わからない 6.それ以外 ********** 私は1の意味で使って 実際には2までが「科 1だと思っている人が 1だと思って科学的に この部分(いわゆる前 参考:http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20080729/p1 http://shibuken.seesaa.net/article/103777695.html ※カテゴリーはYah 補足 |
>私は科学そのものを全否定したことは一度もありません。
今までに私を含め誰かが「cecil_scott_foresterという人は科学を全否定している」と言ったことがあったでしょうか。そんなことは最初から問題にしていません。
cecil_scott_foresterさんが科学に理解があるのは知っています。
ただ「なぜ誤解を与えるような文章をわざと書くのか」が気になっており、その原因が奈辺にあるのかが知りたいのです。
霊の存在について「科学的に証明されていない」「非科学的」は当然の指摘ですが本来はすべきではありません。もともと科学の範疇ではないので。ではなぜ科学的な批判が行われるのかというと「科学の範疇に入ってきているから」です。
「科学の適用範囲(有効範囲)は小さい」「科学は万能でも完成されてもいない」「霊を科学的に検証するのは実質的に不可能である(実験と観測に再現性が取れないから)」というのはまったくその通りです。
しかし「『科学の範疇に入ってきているから』には科学の物差しで測られるべきではありませんか?」というのが私の主張です。
そして多くの懐疑派の主張は「今現在、自然現象を解明するためにもっとも使える物差しは科学であると考えられるのでまずはこれを使ってみませんか?」と言うことだと思います。
これに対してcecil_scott_foresterさんの回答は「科学は使えない(科学では検証しきれない)」ということだと思います。違うならぜひおっしゃってください。
それに対して私は「では科学が不適ならどんな物差しを使ったらいいですか?」と訊いています。(たぶん以前にどこかで物差しの話をしたと思います)
たとえばおっしゃっていること(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320076238)の信憑性はどのように確かめたらいいですか?「科学」が使えないとしたら何を使ったらいいですか?鵜呑みにするのは私の信条に反します。
たとえばRS理論はその可能性の高低にかかわらず極めて科学的な主張ですね。
cecil_scott_foresterさんの行う科学の主張と私の行う科学の主張は(内容ではなく性質として)何が違いますか?
なぜ片方はOKで片方はNGなのでしょうか(これは私が勘違いしているのでしょうか?)
これがいつもわかりません。
補足:RS理論(科学的)を元に展開された「霊は異次元の存在である」という主張はcecil_scott_foresterさんの主張は科学的 ではありませんね。では、私がcecil_scott_foresterさんの主張を科学的に批判することは的外れなのでしょうか。私はそうは思いませ ん。
根拠が「科学」ならば「科学的な検証を受けるべき」というのが私の主張です。
10月28日9:43 追記:向こうに書くべきではないのでつぶやいておきます。
私 がイライラ?焦っているように見えるとするなら、リアルの方での忙しさの余波かな?と思います。でもどちらかというと1話したら0.5で返ってきた、みた いな内容の薄さ(丁寧過ぎて逆にわかりにくい)感じと、伝わらないなぁ、この方法じゃ上手くいかないなぁという諦観が若干あるかもしれない。
本ブログの方はボチボチ更新してるものの雑記以上のものにならないからなかなかこっちに持ってこれない…(汗)
さて、血液型性格診断で質問を送った「NPO法人 血液型人間科学研究センター」ですが返事を頂けなかったので
>NPO法人は非営利だから問い合わせも適当でいいと言うのでしたらコンテンツの内容も適当だと取らせていただきます。
という記述に従い、あのHPの内容は信じるに値しないと宣伝させていただきます。
血液型人間「科学」研究センターと銘打っているのだから最低限科学的な態度を取ってくれるのかと思ったのですがそうではないようです。
何故返事に拘っているかというと、科学の領域(でなくとも)では自分の主張を批判された場合、それに対して「そうではない、こうなんだ」と主張しなければいけないからです。もちろん黙っていてもいいですが、その場合は返答できない理由がある=自分の主張は正しくないと言っているようなものだと理解してください。
これはどんな分野でも同じではないでしょうか。
「貴社の製品のこの部分はデメリットではないか」と指摘された場合には普通は返答しないという選択肢はありえないと思います。デメリットではないと説明できる情報を持っている場合はその情報を、自分ではわからなければ必ず開発部や技術部に問い合わせて返答すると思います。
また、www(world wide web)にある情報はすべて公開された情報であり、これらは情報ソースについて問い合わせたり正しく引用して批判することが著作権法上許されています。むしろ情報源を載せない引用は著作権法に違反します。
そして批判されたならばそれに対して反論するべきであると考えています。
つまり返答しないということは指摘通りである、自分の主張は正しくないということを意味しています。(実際にはそうではなくてもそう取られます)
少なくとも私はまったく返事をしないという態度はありえないと思っていますし、科学的にも人間的にも不誠実だと思っています。
以上の理由から「NPO法人 血液型人間科学研究センター」に関しては基本的に信用に値しないとしました。
ただし、中には正しいデータも存在します。
しかしこのHPを利用する人は正しいデータを見ればその他の正しくない戯言も同じように正しいと勘違いします。
参考論文のない記述に関して採用する際は必ず出典を確認してから使うことをおすすめします。根拠のない発言は自身の信用を落とします。それは何かを主張する上では不利になることを意味していますし、これからの主張も信じてもらえなくなる可能性が増します。
だから私は自分が間違っていた場合はどんなに自分が恥をかこうともその間違った主張は残しますし、自分が間違っていた旨を伝えます。
せめて「科学」を主張するならそれぐらいしてほしいところです。