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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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コメント欄で私の思想の形成には銀英伝と十二国記を引き合いに出したので少し書いておきます。

思想といっても論理的な考え方やテクニカルな部分ではなくてもっと根本的な部分の話です。

さて、あらかじめ断わっておきますがすべての人が同じ本を読んでも同じメッセージを受け取るわけではありません。人の感じ方は十人十色でありどれか一つが正しいわけじゃない。だから人間の感性って面白いって感じるし、なるほどーって目から鱗が落ちるのですよね。



銀河英雄伝説について。
帝国(専制君主制)と自由惑星同盟(民主共和制)の戦争の話。
常勝の英雄ラインハルトの知略に富んだ戦略と不敗の将ヤンの奇抜な戦術が見どころ。
政治的な生臭さも絡んできてすごく面白いです。
詳しくはWikipediaの銀英伝をどうぞ。

さて、内容については少し置いておきましょう。

ラインハルトは軍事的にも政治的にも天賦の才を持っており、専制君主制とはいっても民衆にとっては賢君である。他方、自由惑星同盟の政治は腐敗しきっており、民衆は疲弊しきっていた。戦争の結果、自由惑星同盟は帝国の統治下になるのだがヤンはそれを拒み辺境で民主共和制の芽を残すことを選んだ。
なぜかというと、どんなに優れた者でも死から免れることはできないから。賢君の後を継いだ者が賢君であるとは限らない。また、賢君が暴君にならないとも限らないから。歴史上、素晴らしい統治をしていた王が晩年になって道を踏み外すことが何度もあった。
そのとき、賢君に政治を任せっきりにし、依存することに慣れた民衆はどのように自分たちを救えばいいのだろうか。民主共和制は(直接的あるいは間接的に)代表を選ぶ権利が民衆にある。すなわち代表の失策は民衆の失敗なのである。そして腐敗したときに批判するための言論の自由があり、代表をやめさせることもできる。責任を他者に押し付けるのではなく、自らが責任を自覚し考えることで最悪の事態になったときでも対処できようということ。
もし帝国が腐敗したときに民主共和制というものがあったら人々はそこに希望を見いだせるかもしれない。だけど民主共和制の芽が摘み取られてしまったら寄りかかることに慣れた民衆は自分たちを救うすべを見いだせないかもしれない。そのために残しておくのだ、と。

なんだかゲーム理論みたいですね…。
BestでWorstよりもBetterでWorseを選ぶって感じですよね。

現実には専制君主制でも素晴らしい国があるみたいですね。たとえばアルジャジーラのあるカタール。反対に北朝鮮のように民衆から搾取しか行わない独裁政権もあります。
私は、今の政治に満足しているわけでじゃないですが間接的にも国のトップを自ら選ぶことができ、不満や批判を自由に言える民主国家に生まれて良かったと思っています。いつでも政治批判ができるように選挙もちゃんと行ってますし、投票するからにはマニフェストには目を通します。※1
確かに1人の天才は百人力であるかもしれません。でもそんな天才は滅多に現れません。
それよりももっと1人1人の力は小さくても着実で確かなものを当たり前のように認められるようになってほしいと思っています。※2



次に十二国記について。
賢君でもいつかは死んでしまう。ならば統治者が死ななければいつまでも治世が続いていくのだろうか、ということを題材にしたのがこの物語。
詳細はWikipediaの十二国をどうぞ。記事が完璧すぎる!

さて、ここでも内容は置いておきます。

十二国記の世界には当たり前のように神が存在します。なんたって王(統治者)や官僚が神仙ですからね。
神は私たちの世界とは違って人間たちの様子をちゃんと見ていて救ってくれることもある。でも、実在する神様にはできないこともある。この世界の人たちは神頼みをしない。とても現実的で、生きるために必要なら詐欺でもスリでもなんでもする。
主人公はそんな異世界で人々に助けられ信頼し、でも裏切られ傷つけられた。
信じて裏切られると相手を信じた自分の心が傷つく。だから信じなければ裏切られない裏切られても心が痛まないと人間不信になってしまう。
そのために主人公は善意の助けを拒んだりもした。優しくするのは何か裏があるからだ、と。
しかし人との交わりの中で見返りを求めない人々の優しさに触れて主人公は自らを惑わせていた疑念に打ち勝つ。信じた者が同じだけの信頼を返してくれなくてもいい、裏切られてもいい。そのことによって相手を信じた自分自身には何も傷つかないし信じたことが無駄になるわけじゃない。裏切った方が自らを貶めているのだ、と。

私だったら人間不信のまま野垂れ死んでいますね。

だから私は基本的に人に優しくしますし、人の話を信じることにしています。
でもね、すべてを肯定してあげることがその人のために絶対良いかっていうとそうじゃないですよね。
同意できないことは同意できないと言い、間違っていることは指摘してあげることこそが本当の優しさなんじゃないかと思っています。※3


最初にも書いたとおりこれは私の考え方の根本ですがみんながこう思っていなければならない!なんて全然思っていません。
だって、どんな考え方(行動に移していいかは別ですよ)をしていても許される国にいるわけです。むしろ、こんなにしっかり書いたのは初めてです。普通の議論や日常生活はこんなところを晒さなくてもできますしね。
というか、人前に晒さない部分なので風化しにくく静かに信念を深めることにもなるんですけどね。


説明がスケールダウンしたorz
でもこれ以上は思い出せなかったですすみません。
あと、カタールをカタロンって書きそうになった(苦笑)


余談:
十二国記の「責難は成事にあらず」って名言ですよね。
誰かを責め、非難することは何かを成すことではない。いつも肝に命じています。
相手の欠点や間違いを指摘し対照的に自分の優位性を示すことは何かを成したことにはなりません。
批判だけして「してやったり」って思ってても実は何にも進んでないよって話。
思えばこの王様は自分の考えを過信し自ら確信を深め他者の諫言を聞き入れなかったから身を滅ぼしてしまったのでしたね…それを思うとなんだか切ない気分になります。

田中芳樹では「英雄は色を好む、しかし色を好むものが英雄だとは限らない」というフレーズをずっと覚えています(富山さん…)
逆は必ずしも真ならず、論理学では基本ですがこれって意外とみんな間違って使ってますよね。AはBである、だからBはAだろみたいな。
この言葉を知っていたおかげで早い段階から少数の事例を一般化して語る愚を犯さずにすみました。


※1
:両親に昔、聞いたことがあります。
「なんで投票に行かないの?」
と。そうしたら
「投票に行っても意味がないから(変わらないから)」
と言われました。私はそのとき覚えたての(笑)
「義務を果たした人だけに文句を言う権利があるんじゃないの?」
という言葉を言いました。
変わらないと嘆いて何もしないんじゃ変わらなくて当たり前じゃないかと。せめて変える努力をしてから嘆けよな、というなんだかとっても中二だったんです(苦笑)
それから、全部に行ってるかはわからないですが親は投票に行くようになりました。
※2:そういう意味では田中さんをやめさせた長野県民は、首相の首をすげ替えて満足している日本国民は小さな歩みというのを認められない人たちなのかと思ってしまいます。
というかむしろ支持率にこだわらずに政治をしろよ、プロだろ?と。
※3:もちろん程度にもよりますよ。
相手との親密さや話題の重要さによって対応は変わります。

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