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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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お風呂入る予定だったんだけど、つっちーが出てるのは結構の確率で面白いので見てました。
やはり面白い。

中井くん(黒バラ表記)って機械音痴なんですよね。
その中井くんに懇切丁寧に教えているのに伝わらなくて何回も投げやりになっているつっちーを見て、疑似科学批判のときに懇切丁寧に説明するのに伝わらずに投げ出しそうになる自分を思い出しましたとさ。

そういえば私も雲雀さんに何度もPCの話をしてもらってるんだけど全然理解できてない。
結局、ある程度の下地がないと理解できないんだよね。
あと、理解しようという姿勢もないと無理。



自分が過度の期待をして頑張って理解しようと努力してきたものに裏切られた(と感じた)とき、否定のベクトルは自分じゃなくて裏切られた(と感じた)ものに行きやすい。というか、内向的な人は自分に、外向的な人は相手に向きやすいと感じている。
で、オカルトカテにいる人たちは「科学」に過度の期待をし、あまりの役に立たなさに絶望し、科学を捨てた(軽視するようになった)人達がかなりの割合でいる。
と、この2年ほど見ていてひしひしと感じる。
(科学絶対主義者からアンチ科学主義者になっている、という告白を少なからずみる)

ニセ科学、というよりそれぞれの批判対象に対するFAQ(水伝とかゲーム脳とか血液型性格判断とか)はかなり充実していると思う。もう、オカルトに比べたら全然。
でも、その他のところでニセ科学批判というのはとてもわかりづらい。
それは、きっと私の読解力が足りないんだろうと思う。
でも、ある一定水準まで達していないと理解できないよ、という類いのものに感じてしまう。
おそらく、ニセ科学批判の言説についていける人は正直多くないと思う。
だから結局は印象論になってしまう人もいるし、努力して頑張ってそれでもたどりつけないと悟ったとき、ベクトルが逆に向いてしまうこともあるかもしれない。
私は印象論で語りたくない(から語らない)けど、実際のあり方と違っても「そう感じてしまったのならそう見えるのだろう」と思う。


私は正直、ニセ科学批判についていけてない。
怠慢を肯定するわけじゃないし、私は私なりに頑張ってるつもり。だけど私は無理に頑張るつもりはなくて、ついていけなくてもいいと思っている。でも結局私はニセ科学批判の言説にそうやって(ある一定水準まで達していないと理解できないよ=わからない奴はわからなくてもいい)感じることを無視するできない。
そうして、そう感じる人たちも無視することができない。

ニセ科学批判者が(とくくれられてしまうことを私も嫌うのだけど)このことを問題にしてないとも思ってないし、真っ先に考えるべきであるとも思ってない。最も大きな「戦略目標」はニセ科学の淘汰なんだろう。

結局は優先順位の問題になっちゃうんだろうと思う。

私がそれぞれの批判活動で「戦略目標」が違うように、各論者も違うのだろう。
みんながみんなおんなじ行動をしなきゃいけないなんてことはないはずで、

・ニセ科学であると判断する人
・それはこういう理由でニセ科学なんですよと広める人
・それはとにかくニセ科学なんですよと広める人

それぞれを別の人が担当してもいいよね。(別の人が担当しているのはおかしい、という言説はむしろニセ科学批判批判で見る)
私にはニセ科学批判者のように的確な指摘はきっとできない。
でもできないからといって明らかに間違っていること、間違っていると感じることを見過ごすこともできない。
だからせめて「なぜ間違っているのか」を理解してもらうための活動をしている。
私はそれを実践する場として知恵袋を選んで、それらの集積のためにブログを作った、ただそれだけ。

そんな私は必要以上のものを背負わないようにして、さらに以前に救われているから逆向きのベクトルにならずに済むだけだと思う。
ニセ科学を広めないために一般人ができること(azure blue)

「リンクだけでもいいんだよ、賛意を表すだけでも大事なことなんだよ」

「定期的にニセ科学批判をしている人」
の間がすべて淘汰されてしまっているような気がする。
また、その間の論者を一掃しているのはニセ科学批判者であるようにも感じている。
だから、私はニセ科学批判をしたことがない。
じゃあこれはニセ科学批判批判??


まとめてみる。

・理解度に合わせたFAQを作らなければいけないか?
→どんなに頑張ってもすべての人に理解してもらうのは無理だろう。

・理解できないから印象論になってる人に「お前は理解してない」っていうのはどうなのか?
→私は初対面(言説を見たことがあっても会話するのが初めて)の場合は最大限譲歩して好意的に解釈し、理解できていないのだと感じたら「ここが理解できていないのでは?」と説明しながら問う。
ただ、この方法は相手に明らかなバイアスがある場合は向かない。「敵」の言葉は耳に入らない。

・ニセ科学批判の敷居が高い印象を受けるのは中途半端な批判者が淘汰されているからではないか?またニセ科学批判批判の敷居も高い。その淘汰に働いている力はニセ科学批判者のものがもっとも大きい。
→よくわからない。現状からの推測にすぎないから。でも「そう見える」。

・(番外)釣られてあげることが良いことなのか。
→私は自分側だろうと反対側だろうと積極的に釣られてあげるけどこれが良いことなのかはわからない。


結局何もわかんねーのかよ!
……わかってたら答え書いてるし、そもそも意見の対立なんか起こらないだろうし。



いま、Judgementさんのエントリ(こんな説明はいかが?)を読んできた。

そうか、たぶん私はニセ科学批判に否定的なものをすべて「ニセ科学批判批判」として押し込めてそれを批判することに嫌悪感を抱いているのだと思う。

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