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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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返事を書いているときに展開がまったく別の方向に行ってしまったので書き直しているのですがこれはこれで私の考えを反映している文章なので参考までにあげておきます。


私もつい最近まで(アインシュタインとは比べ物にならないほど飛躍のないレベルですが)論文投稿のために実験をしておりました。

論文にまず求められるものは「新奇性」です。
どんなに堅実な研究でも発展性がなければ意味がないのですね。
次にその新奇性を支える「結果」と「考察」です。
どんなに奇抜で優れた研究であろうと「新奇性」を示すような「結果」が欠けている場合、「結果」と「考察」の間に飛躍がある場合にはその論文は却下されます。簡単にいうと「雑誌に載せるには証拠が足りない(研究不足である)」ということです。
次に、結果を出すために用いた「材料と方法」です。
結果がどんなにゆるぎないものでも「方法」がめちゃくちゃであれば結果はまったく信用できないということになります。

このようにすべてのことは独立ではありません。

私の知る限りレベルに達していない論文が載ってしまうと「雑誌の信用問題(信用性の低下)」「論争の紛糾」が起こります。
信用の低下や無用な論争を起こさないために「査読」があります。
査読はピアレビューという方式が取られています。査読を行う人たちはとても厳しい目を持っています。第一に、同じ分野の研究なので「この論文は自分たちの研究の信用性を貶めないか(証拠不足なのに出していないか)」をという理由があります。第二に、「まさに今自分たちが行っている研究とかぶっている(あるいは矛盾している)と困る」という理由です。このあたりは人間の性根の悪さが出そうですね。ただ「不当な根拠」を元に却下することはできません。第一の理由は根拠さえ揃っていれば査読は通ります。第二の理由はできてもせいぜい雑誌の掲載を遅らせる程度のことで、研究結果さえ確かならばちゃんと通ります。
では通らなかった場合にまず何をするか。
1.差し戻し(revise)の場合は査読者の指摘した部分について追加実験を行う。
2.却下(reject)の場合はワンランク下の雑誌に投稿する。
それでも却下されてしまう場合ももちろんあるわけです。

さて、それでは受理(accept)されて雑誌に掲載されれば「科学的証明がなされた」と見做せるでしょうか。
答えは「いいえ」です。
この正しさが証明されるには更なる研究や他の(一見まったく関係のない)研究が必要な場合があります。特に理論物理学ならなおさらです。反対に研究が進むにつれて否定される場合もあります。

「間違いは正されていく」

私が科学を好きなのも「正しさ」に対する執拗なまでの厳しさが理由です。
科学は他人に厳しく自分に厳しいのです。人間が介在すると解釈(説明)が簡単にねじ曲がったりします。しかしそれでももっとも客観性を強いられもっとも事実に忠実にありなさいとするのが科学だと思います。


以上の文章は30日の午前中に書いてます。最新のお返事(30日深夜)を頂く前です。
基本的な考え方が同じであることがわかります。なのにコンセンサスが得られない(主に私の方の理由で)。
まだどこに些細な、しかし決定的な違いがあるか理解できずにいます。


12/10追記:意味が通るように青字の解釈(説明)がを追加しました。

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理論科学と実験科学
論文と科学証明に関する考察を読んでいて、私とharesoraさんとの科学的説というものに対するスタンスの決定的違いに気が付きました。
それは私の仮説はアインシュタインの専門である理論物理学の系統に属する説であり、つまり理論科学といわれるアプローチで主に事象をより上手く説明出来るアイディアを仮説として可能な限り現行科学と整合させるあるいは新たな領域に包括する形で主に論理によって述べているのに対し、haresoraさんが研究で行っている科学的アプローチの仕方は先に実験によって“実証”あるいは少なくとも因果関係を明らかにしてから初めて説を公にし、反証あるいは修正されるまでは暫定的に真実らしい説とし、その後の追試にも耐え続ければ一応その説は証明された定説とするという実験による実証によって仮説を述べようとするものです。
もちろん理論科学より実験科学の方がより証明にとっては望ましいアプローチであり、出来るものなら私の仮説も自然科学的な実験ができるのであれば白黒がはっきりすることでしょう。
しかしそれは現実に実証する自然科学的手段を持ち合わせていなければ出来ないことであり、また逆にその様な実証実験の手段があるならば理論科学ではなく始めから実験科学の分野として扱われることでしょう。
残念ながらその対象が異次元空間やその空間における事象であった場合、それは不可能なことなのは既に論理的にご理解いただけていることと思います。

私が始めから最終的な仮説の根拠を述べ“得ない”のも実はharesoraさんのスタンスが基本的には科学主義的実証主義にあったからで、その思考方法では絶対に仮説までたどり着けないことが分かっていたため、そのharesoraさんの科学的アプローチとは“違うアプローチの方法”が存在することを理解していただき、なおかつその手段によってもたらされた根拠でも実験科学的に得られた根拠と等価なものであると信じることを許容できる意識の広がりを、対話による相互理解のなかから徐々に醸成していく必要があると感じていたからです。

おそらく長らく感じて来た違和感の主たる原因はこの理論科学と実験科学という仮説の扱い方の違いから来ているのではないでしょうか。

お互いが考えている科学が違っていたのではなく事実上検証手段の有無によって分けられる理論科学と実験科学という仮説に対するアプローチの仕方が違っていたのです。
cecil_scott_forester 2008/11/01(Sat)23:11:38 編集
スタンスの違い
先のコメントと現在の間の時間で3回ほど読み返してきました。

今回の2つのコメントで「なぜそのような書き方をするのか」が理解ような気がします。まだ納得(理解)し得ていない部分もありますが、どのような「意図」で、どのような「背景」をもって、どのような「すれ違い」が生じているのかが全く見当もつかず、どういう切り口で質問したらいいか迷っていました。
やはり必要ないと思った文章でも公開しておいて正解でした。

理論科学は確かに私の分野とは違います。
まだまったく調べていないうえに専門外のことなので質問等は後で書きますが恐らく理論科学について質問すると思います。
現在の私の理解の範囲では
理論科学:①科学的に矛盾のない理論を考える→②実験的に実証
実験科学:①観察されている現象について実験する→②実験と矛盾しない理論を考える
といったところでしょうか。
後者では①を「科学」と呼ばないのに対して前者では①も②も「科学」であるといったところでしょうか。

また1~4に関する疑問はあるい程度解消できたと考えていますが、もう1日だけ猶予をいただいてじっくり考えたいと思います。
5に進んでから1~4に戻ってくるのもややこしくなってしまうので。
むいみ 2008/11/04(Tue)15:27:06 編集
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