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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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next49さんの「君の卒論は文学的なので……」(発声練習)を読みました。

君の文章は文学的表現なので(冗長すぎる)

と言いたい人が片手に足りないほどいる。

ついでに、私も修論書いてる時に「とても」とか「すごく」とか「〇〇な細胞は△△の条件よりも××の条件のほうが多く観察された」とか書きそうになったなぁ。
まあ下書きなら許されるけど、すべて数値を入れたり論文引用したりしたなぁ。今となってはいい思い出…か?

はい、以下蛇足。

たとえば、2%っていうと日常的には小さい値だよね。
だからって科学的な話で2%を「ごく少ない(小さい)」としていいのか。
これは「何」と比較して「ごく少ない(小さい)」のか。

95%と2%を比較したら2%は「ごく少ない(小さい)」だろう。
私の修論では主に80%以上のマジョリティと10%以下のマイノリティの「見てわかる圧倒的な差」の比較しかしていない(それは私がテーマに恵まれただけ)けれど、たとえば2%と2×10-5%の比較だってありうる。(下手するともっと差が小さい場合だってある。ここから新しい発見を見出してくるのはすごく大変だろうと思う)
そうすると今度は反対に2%は「ごく少ない(小さい)」わけではなくなる。

前者の2%と後者の2%は集団の中で占める割合(絶対評価)は同じなのに、その重要性(相対的評価)は格段に違う。
この二つを同じようにくくり「2%だからごく少ない(小さい)」と論じる人がいたら、その人の論理展開は粗雑であると言わざるをえない。だから絶対値しか考えずに「だから、ごく少ない(小さい)」と言える人はきっと科学をわかっていない。
私も4年生のときに統計処理のマジックに騙されたし。


文学的表現でもいいけど、相手に伝えることを考えると文学的修飾は本当に必要なの??と思わざるをえないときが往々にしてある。

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