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日常に潜む疑似科学的なことをメインに食指の動く方にのらりくらりと書いていく雑記です。
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ちょうどcecil_scott_foresterさんの参加している質問に回答をする予定ができた(というか作った)ので以前ここで行っていた議論に関して続ける意志があるのか訊いてみようと思います。


以下は「根拠と仮説」についてまとめた際に見つけたすれ違いです。
もしこれに対して同意が得られるならば議論を続ける価値はありそうです。


2008/11/03(Mon)23:19:13のcecil_scott_foresterさんのコメント

念のため私(cecil_scott_foresterさん)の側の主たる仮説を再度確認しておきます。

霊界とは超ひも理論やRS理論などの物理理論でその存在が予測されている異次元の”世界”と同一のものなのではないか。
また異次元世界が実在するならば、すなわちその異次元世界にも生命体が存在し文明と呼べる社会が成立していると考えることは、現にこの3次元世界に地球及び人類が実在することから鑑みて、この3次元宇宙に地球人類以外にも知的生命体が存在し得ると考えることと比べ著しく合理性を欠く推測ではないと思われる。
そして異次元世界がすなわち霊界であるならば、その異次元世界の生命体こそが霊と呼ばれる存在ではないかと同定し得る。

というものです。


これに関してcecil_scott_foresterさんは、

異次元世界やその世界における生命の存在までは科学の延長で考えることや科学的議論の対象にはなり得ますが、その世界の”具体的ありよう”つまり異次元世界に実際に知的生命が存在しうることまでは、現行科学の知識を基に対抗出来ても、その世界の具体的社会システムや思想などの文化や異次元世界における生命現象についてまで“見てきたように”主張することはもはや自然科学によって検証できる範疇ではありません。


とおっしゃっていますが、この説明を噛み砕いて理解することができなかったのが致命的ですね。
だからこれ以降で私が蒸し返した(ように見えた)のがcecilさんを混乱させたんですね。私が理解したように書いたのにいきなり手のひらを返したように見えたんだと思います。つまり、このとき私はcecilさんの考え方について納得した(こういう考え方が根底にあるからああいう書き方になるのか、と)けども内容を承諾したわけじゃないんですね。同じ時期に他の質問もしていて、知恵袋補足(azure blue)でもそれは書いています。それらを合わせて「cecilさんの考え方と私の考え方はスタンスは違うけど決定的な違いはない」と判断したんです。

この時点で二重の意味で私の頭が足りてなかったのもいけないんですね。

・cecilさんの主張を噛み砕いて検討しなかった
・「そういう考え方なら今後の議論に差し支えがないだろう」と予定していた質問をやめた

つまり、私自身に「いまさら確認しなくても理解できるだろう」という驕りがあったんですね。
この時期にリアルの方で煮詰まっていたのがさらにダメさに輪をかけてますね。
とにかくふわふわした議論では話にならない、本題に入ってから軌道修正したらいいだろうと甘く考えてたんですね。


しかし私から、これに対する返答がまったくなされていないかというと、そうでもないようです。


2008/11/16(Sun)21:26:53のcecil_scott_foresterさんのコメント

≪ココから≫
仮説そのものは根拠の明示抜きでいきなり掲げられており、もちろん文面上何らの事実によっても支えられていないため、haresoraさんの身に付いている仮説の提示のやり方からすると“飛躍”していると思われるのではないかと思ったのですがどうでしょう?
つまり仮説そのものではなくその仮説の立て方に違和感があり、そこから私の仮説の立て方に《欠けている》科学的手法かあるいはそれに準じる形での根拠の明示を求めているのではないかと考えると今までの話がようやく理解できる気がしてきました。
そう思って今までのharesoraさんの文章を読み直すと“根拠を真っ向から否定したことはない”という言葉からおそらく「私は始めからそう 言っていました!」と言われそうですが、単に仮説が飛躍していると言われると仮説“そのもの”の批判なのだと解釈して、その方向からの回答に終始していま した

そうすると今まで仮説の根拠は一度も提示したことが無いのに未だに“もっともらしい《根拠》がついているために主張の「飛躍」に気づかれにくいの ではないか”と言われるのは、仮説には根拠が必ず付属しているという無意識的固定観念から、異次元的世界を我々の次元のイメージで説明するために使ってい る科学的な喩えを仮説の根拠と思い込んだために「今の時点でそこまでは言えない」ということになるのではないでしょうか。
繰り返しますが主たる仮説に関する限りその根拠は一度も提示したことはなく、ただ単に霊は霊界の存在であり霊界はいわゆる異次元世界のことであると言い切っているだけです。
≪ココまで≫

そ の異次元世界と我々の世界の実体が干渉出来ないことを“我々の世界の物理に基づく”電波の波長の違いを喩えとして説明していますが、その喩えが説明として 都合が良いからと言ってそれを根拠とは見なしていませんし、仮にそれを根拠にするとしても“それだけで”仮説を支えるに足るだけの柱としての強度はほとんど無いことは十二分に理解しています。



に対しての私のコメントがそのまま返答にできます。

2008/11/18 17:25のむいみ(haresora38)のコメント

>異次元的世界を我々の次元のイメージで説明するために使っている科学的な喩えを仮説の根拠と思い込んだ
いいえ違います。

>“我々の世界の物理に基づく”電波の波長の違いを喩えとして説明していますが、その喩えが説明として都合が良いから
私はこの部分について「一切」触れていません。
この部分はcecilさんの提出した仮説に対する「説明」だと思っています。
仮説自体が飛躍していると言っているのだから説明が飛躍していようが例え話になっていようがそこに大きな意味はないのです。


科学的な喩え←触れてません(聞きたいですが)
―――――――――――――――――――
仮説←飛躍しているのではないかと言いました
――――――――――――――――――
根拠←否定したことはありません


たとえば、
元の質問に対するcecilさんの回答から引用して「具体的に」お話ししましょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320076238
コメント欄でのリンクの貼り方がわかりません。
cecilさんが10月23日に回答を行い私が難癖をつけた質問です。

A(根拠):最新の物理理論では宇宙は多重次元構造であり異次元世界が3次元世界に重なる様に存在しているのではないかという説が有力視されています。
B(仮説):霊が存在しているのは異次元であり一見同一の空間に存在している様に見えても文字通りこの世の存在ではないからです。
(AであるならばBが成り立ちうる)この理論は霊界の世界観とも完全に一致しています。

私はこの一点を指してAの根拠を元にBというのは「飛躍」である、と言っています。 AならばBであることに「矛盾はない」が、「Aであることが確認されてもBだとは言えない」と私は言っています。
おそらく今回問題になるとしたらAの部分ですね。





しかし、結果的にはcecil_scott_foresterさんと私の「科学」の適用範囲は違わないということがわかりましたね。

ここまでの、あるいはこれ以降の議論で論点がずれているのはすべてこれで説明ができそうです。


つまり、最初のcecil_scott_foresterさんの書き方


異次元世界やその世界における生命の存在までは科学の延長で考えることや科学的議論の対象にはなり得ますが、その世界の”具体的ありよう”つまり異次元世界に実際に知的生命が存在しうることまでは、現行科学の知識を基に対抗出来ても、その世界の具体的社会システムや思想などの文化や異次元世界における生命現象についてまで“見てきたように”主張することはもはや自然科学によって検証できる範疇ではありません。

でいうならば、

異次元世界やその世界における生命の存在までは科学の延長で考えることや科学的議論の対象にはなり得ます

が、つまり

A(根拠):最新の物理理論では宇宙は多重次元構造であり異次元世界が3次元世界に重なる様に存在しているのではないかという説が有力視されています。
B(仮説):霊が存在しているのは異次元であり一見同一の空間に存在している様に見えても文字通りこの世の存在ではないからです。
(AであるならばBが成り立ちうる)この理論は霊界の世界観とも完全に一致しています。



という私のまとめと、根拠と仮説の置き方は異論があるようなので置いておくとしてもそれ以外は「科学の対象である」という双方の意見の一致が見られ、


その世界(霊界)の具体的社会システムや思想などの文化や異次元世界における生命現象についてまで“見てきたように”主張することはもはや自然科学によって検証できる範疇ではありません。

が、つまり

私はこの部分について「一切」触れていません。
この部分はcecilさんの提出した仮説に対する「説明」だと思っています。
仮説自体が飛躍していると言っているのだから説明が飛躍していようが例え話になっていようがそこに大きな意味はないのです。



として「科学の対象としていない」とする双方の意見の一致が見られています。

にもかかわらずこれ以降も話がまったく噛み合っていないのは双方の論点がずれているからである、といえます。


もっというならば、私は「科学の対象である」部分について訊いているのに、cecil_scott_foresterさんが『「科学の対象としていない」ところをharesora38が「科学の対象である」と拘っている』と勘違いしたためのずれであると考えられます。
双方で論点がずれているのですからまとまるはずがありませんね。
もしかして「論文病」や「科学主義者」だのはそこから来ているんでしょうか。
(そう考えるととてもしっくりきます)


私に精神的なゆとりがなかったのがアダになりましたね。
最初からラクラク議論ができるなんて考えていませんでしたが、まさかここまでお互いに対する勘違いだけで話を進めることができると思ってなかったんです。


この部分について同意が得られたらまた違った展開が期待できるのではないでしょうか。 「お互いに対する勘違いがあった」ということがわかっただけでも少なくともここまで話し合った意味はあったわけですね。


つまり、私が意識して科学的にあろうとすればするほどcecilさんが疑心暗鬼を募らせていったと。
しかし、このまとめが間違っていなければ今後は「科学的に」議論を進められそうです。


4/16追記:引用範囲が適切ではなかったので引用部をつけたしました→≪ココから≫≪ココまで≫
また、私の読解力の低さがわかるところですが、
>単に仮説が飛躍していると言われると仮説“そのもの”の批判なのだと解釈して、その方向からの回答に終始していました
の部分読むといかにすれ違っていたかが分かるのではないでしょうか。 もちろん私はcecil_scott_foresterさんが仮説としている部分が飛躍しているのではないかと言い続けていたのですから合ってます。
ここで私に修正する能力があれば話がずれずに済んだんでしょうか。

実はコメントの応酬をしていたエントリ以外にもいくつか記事をあげていて、全部読んでくれているんだと思ってたんですけど(返答を期待していないエントリにコメントをいただいたので)読んでいらっしゃらないのならお手数ですがこの機会に読んでいただけるとありがたく思います。

本会場→科学に関する質問(10/28)のコメント欄

↓↓↓関連エントリすべて拙ブログ記事↓↓↓
・論文と科学的証明に関する考察(10/31)
・知恵袋補足(11/4)+知恵袋の質問(科学の適用範囲はほんのわずかである。
・【編集中】用語の確認(11/12)
・科学的仮説とは?(11/20)
・議論の相手に対する印象(11/21)
発言に対する責任(11/21)

ここまでは一通り読んでいただけるとありがたいです。

↓↓番外・類似エントリ↓↓
オカルト肯定派のやっちゃいけない否定派否定論(仮)(12/12)
気になる質問@Yahoo!知恵袋【オカルト・超常現象編】(12/18)
証明は科学の専売特許ではない(12/24)
オカルトに科学的根拠や証明は必要ない(1/4)

ここでは関連したことを言っていますが、一応議論とは独立しています。

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現在、ドーキンスの「神は妄想である」を読み進め中です。これすごく面白いです。
しかし私は世間から2年ほどずれているみたいです(笑)

有神論者は科学的に証明されていない部分(隙間)に神を見つける。
これって日本では馴染みないなんてことはないですよ。
幽霊が実在すると思っている人は科学的に証明されていない部分(隙間)に幽霊を探し、見つけます。
そういう意味でとらえると私は不可知論者なのではなく無神論者なのだなぁと実感させられます。
隙間(ギャップ)に幽霊を押し込めるという行為に怒りを覚えるのですから。
私に幽霊が、神が、オーラが見えていてその存在を確信していたら間違いなく実験に協力するのに。(いや、その前に私なら気が触れてるかもね?血とかホラーとか苦手なので。)

しかしアメリカの生物学者、というか無神論者はこんなに過激な発言をしなきゃいけないほど追いつめられてるんでしょうか。ドーキンスといいシルヴァーといいかなり過激な発言があり(しかしかなり慎重に言葉を選んでいる)かなりの情熱を持って書いています。日本人なんて神はいないだろう、幽霊はいないだろうなんて思っててもここまで真剣に、科学的に語る人ってまずいませんよね?
少なくとも、比喩としての「神」の使い方に慎重にならざるを得ないな、と感じます。
ドーキンスの分類だと私は限りなく無神論者に近いのに考え方は不可知論(あるいはNOMAも)そのものです。

でも、私はサイエンスに神は必要ないと考えているけどヒトには神が必要だと考えているので、人格神は否定しても信仰の中にのみ存在する神を否定することはできません。もちろん、幽霊も同様です。
もしかしたら彼らも同じ意見かもしれません。第4章以降も読み進めてみようと思います。
たとえ同じ意見じゃなかったとしてもおそらくドーキンスやシルヴァーへの評価が変わることはないと思います。


なんにせよ妄想で好きなことが言える人って羨ましいです。
私はそうすることにかなり臆病です。

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2008年3月21日の記事。そのうち元記事は削除します。

「論理の飛躍」の話もしているのでこっちに持ってきてもいいかなと。

うー…あー…。せっかく書いたのに投稿する前にBAが決まってしまったー。

というわけでこっちに持ってきます。



質問:皆さんに質問です 霊を信じますか? 私は信じます 霊の存在を科学的に証明できないと言われる方々もいらっしゃいますが、私が言いたいのは、科学が「なんだ」ということです 科学で証明できないことを全て嘘だとするならば、我々人間の「心」だって、どういう原理で働いているのかわかっていないのですから、「心」は存在しないということになります つまり、科学的な証拠がないという理由自体が、根拠薄弱であてにならないものなのです さぁ、皆さんは、霊の存在を信じますか?科学的な、とかそういう先入観なしでお答えください



難しいよね。科学という言葉が安易に使われすぎたために「科学」に過剰反応してしまう人が多いような気がします。
絶対に過剰反応されるから 書かないけど、「科学」を「(一般)常識」に置き換えても文章として成り立つことを考えてほしい。アインシュタインやガリレオを引き合いに出す人も多いけ ど、正直一緒にしたら可哀想です。というか証明責任を果たしても信じてもらえないことと証明責任も果たさずに信じてもらえないことを一緒に語られても誰も 納得しないっていうか。
とにかく「科学を知らない人ほど科学批判が好き」だと私は思っています。

 


昔は信じてましたし心霊体験も何回かしましたが、さまざまな書籍を読んでいろいろな考え方を知るたびに懐疑的になりました。
霊の定義にもよりますが、いることといないことを秤にかけたらいないほうが重かったってだけの話です。
もちろん存在が証明されれば信じます。私が大切にしているのは科学でも霊でもなくて真実の解明ですから。「科学で説明できないこと≠存在しないこと」ではありません。
しかし存在しないものは科学では証明できません。
また、科学で証明されているものでも必ずしも原理が解明されているとは限りません。ご存じないでしょう?

>科学で証明できないことを全て嘘だとするならば、我々人間の「心」だって、どういう原理で働いているのかわかっていないのですから、

>「心」は存在しないということになります
ここで論理が飛躍しているからおかしなことになっているんですね。

「科学的根拠がないという理論」が「根拠薄弱であてにならない」ならばどうぞ別の理論をお示しください。
そのほうがよっぽど建設的ですよ。あと、もう一つ知っておいてほしいのは、霊を信じる人でもそれぞれ主張が少しずつ異なるように、
霊の存在を信じないといっている人の主張もそれぞれ違います。
しかしほとんどの人で共通しているのは「(今のところ)霊を科学的に証明することはできない」けど「心霊現象の一部は科学的に説明可能である」ということです。
この違いをよく考えてみてください。 

 



「信じない人」の中でも
・怖いから信じない人
・信じるに足る証拠がないから信じない人
・あったら自分の価値観が壊れるから信じない人
・あることとないことを天秤にかけて、ない方の比重が高い人
・これらの組み合わせ
2番目と4番目は近いかな。
ちなみに私は複合型です。怖さもゼロじゃないです。
昔は悪いことした日は地獄に落ちると思ってしくしく泣いてたなぁ(笑)般若の面も見るだけでドキドキするほど小さい頃のトラウマが効いてます。

科学っていうのはあくまで「みんなで情報を共有するときの基準」として都合がいいから使われているのであって、それに不満があるならさっさと「新しい基準」を出せばいいのにそれもしたくない。じゃあ何がしたいのよー。

きっとあるってことを正当化したいんだろうな。
あるっていう前提のもとにもっといろいろ話したいけど否定してくる奴がいるからなんなの?って感じなんだろうなー。
ま、「科学」って言葉が出なければ答えようと思わないほどには馴れ合い質問だったなぁとは思います。

論理の飛躍に関しては後日詳しく補完できたらなぁと思いますが、うん、いずれ。
そもそも「科学で証明できないことがすべて嘘」ってすごい主張した人がいるんだなぁ。


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過去記事を転載します。
最終的にはあちらにあるこちらのカテゴリに合う記事を全部こちらに移動し、ブログの性質を完全に分けることを目標にしています。

どんな主張をしててもやっぱり根っこのところは変わらないんだな、と(苦笑)


私、いつも知恵袋のオカルトカテを見てて不思議に思うのです。

人間は霊(霊魂)の存在やあの世(死後の世界)がない※1と他者※2を慮ることができないと思うのだろうか?と。
犯罪は憑依霊によって起こされる!?@Yahoo!知恵袋」なんかはその典型例だと思うのです。

正直、墓参りをしなくても故人を惜しむことも悼むこともできます。むしろ、形ばかりを大切にして中身を疎かにしていたら意味がないのではないかとよく考えます。
もちろん、大切にするのは生前にやるのが良いに決まっています。だって、死んだ人とはもう二度と会えないんです。死後にまた会えると希望を持つのはいいですよ、でももっと大切なことがあるはずですよね。生きているうちにもっと会っておく、もっと気持ちを伝えておく。

そんな簡単なことは霊があろうとなかろうとみんな理解できるし、その他者を慮る気持ちと霊やあの世の存在はまったく別の話です。

すべてとは言いませんが、知恵袋を見ていると肯定派の大多数が「否定派※3は冷たい」「霊の存在を信じている者のほうが魂のレベル※4が高い」と思っているように見えます。
だ からって否定派だって貶されれば傷つきます。でもそんなのどうってことないって考えている肯定派がたくさんいるように思います。人間はすべて心を持ってい る感情の生き物で、そんなの自分や周りを見ていれば当たり前の話なのに「否定派」という人種は血が通っていなくて他者を平気で馬鹿にして科学を信奉してい て視野の狭い(扱える範囲の狭い科学しか知らない)人達だからあいつらは貶しても平気、でも霊がいないとか霊の悪口を言うなって言っているようにみえま す。
どっちだってやっていることは同じなのに。他者を馬鹿にしたり貶めたりしたって何も得られないし何も解決しないのに、こういう争いだけが繰り返されています。

議論の場で他者を馬鹿にしても得られるものはほとんどありません。
自分が少し(自己満足的な)優越感に浸れるだけです。
そんなことよりも少し相手の意見に耳を傾けたり、少し相手に対する言葉に気をつけるだけで、対立する意見を持つ者同士が相手の言い分を理解する(たとえ受け入れられなくとも)ことができます。
知恵袋は決して議論の場ではないと言いますが、議論をしなくとも相互の意見を理解し合うことはできます。


脱線してしまいましたが、他者を慮ることに霊やあの世などの「見えないもの」は関係ないのです。
生きているものの心を無視(軽視)あるいは傷つけてまでも霊やあの世の存在は大事なのでしょうか。
「見えないもの(霊やあの世)」と同じくらい「見えるもの(生きている人間とその心)」も大事にしてほしいと思います。
もちろんこれは完全否定派にも同じことが言えます。
彼らは霊やあの世の存在を否定するあまり肯定派の心や信条(見えないもの)を無視(軽視)しがちです。
「見えるもの(客観的な証拠)」を大事にするのと同じくらい「見えないもの(他者の信条、信仰)」も尊重してあげてほしいと思います。


※1:ここでいう「ない」とは「意識する」「知覚する」とほぼ同義で使っています。
霊の存在は知っている人間からすると「当たり前」なんだそうです。
※2:ミクロな視点では人間社会、マクロな視点では生物・地球全体を指しています。
※3:ここでいう否定派には懐疑的否定派も含んでいます。
※4:魂のレベルについても定義してもらいたいです…。

推敲しないで書く文章はこうなるんだぞーという見本。のブログorz
とりあえず私はカッとなって強烈な皮肉を吐く癖を直したいと思います(苦笑)
あと、身近な人の心も慮ってあげたいな、と。普段の私は酷い人かもです。
あと、私はそろそろ書き方を統一したらいいと思う。

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すごく……長いです。
しかも(削るのが面倒くさい語感や意味が変わってしまうと怖いので)削ってないですし、うまくつなげているかわかりません。私が読んで、こういう風につながっているはずだ(私のコメントにはアンカーが多いので比較的つなげやすいですがcecilさんのコメントがどこにつながっているかつかみかねている部分がある可能性がある)という推測の元に作っています。
読みにくく、また前後がつながっていないようなところも多々あると思いますが、わかりにくいところ、間違っているところ等ありましたらご指摘ください。

対話者の片方が編集しているので知らずに恣意的になる可能性がありますがコメントはすべて公開されていますので間違い・勘違い等ありましたらご指摘ください。



以下赤字は私(むいみ=haresora38)のコメント、青字はcecil_scott_foresterさんのコメント、黒字は引用者による注釈です。


”科学が不適であるならば使うべき物差しはなんですか?”

”個人的体験と通常の手段とは認められない方法で得たとさる知識、そしてそれらを解釈する《各個人の理性と論理》によって導かれた確信”
ということになります。
これではharesoraさんが納得される答えではないことは間違いないでしょう。
そうするとかつて私自身が辿った道程がそうであったように、その確信に至までの過程を順序よくかつ根気よく一つ一つ煉瓦を積み上げて大きな建物を建てていくようにお話しするしか他に方法はありません。
それはとても2000字に収まる様なものではないのです。

>個人的体験と通常の手段とは認められない方法で得たとさる知識、そしてそれらを解釈する《各個人の理性と論理》によって導かれた確信

すら一部は科学に包括可能だと私は考えています。
たとえば『個人的体験』の検証をするとしたら科学的方法論が有効であると考えます。
『通常の手段とは認められない方法』が後に科学的に妥当だと考えられる方法になる可能性もあります。
おそらく問題は『解釈』と「論理の展開の仕方」なのだろうと思っています。


この時点でcecilさんから示されたのは個人的な体験とそれによって得た(主観的な)知見ですよね。それもスタートとしては問題なく、その解明方法は科学的方法論が有効であるのではないかと提案しています。


誤解のある点は解消しておきたいのですが、この問題を解決するに最も適する物差しは”科学”です。
不適なのではなく、あまりにも科学が唯物論的な自然科学的証明に偏りすぎていて、個々の個人の無数と言って良い体験や臨死体験、生まれ変わりの研究、そして管理された条件で行われた交霊実験による検証などを非科学的として排除しようとする、その自然科学万能主義に問題があるのです。
なお、私にとって”科学的”とは論理的ということであり、つまり科学的思考に基づく検証手順、実験方法などは私にとってもこの問題を解明するための最も重要なツールです。
つまり科学そのものが不適であるというより、現状の社会に蔓延している唯物論的世界観だけで科学を用い世界を解釈することが不適なのです。


上下のコメントの間に本来ならかなりのコメントのやりとりがありますが、私はこの時点から同意が得られたものとして科学的な態度でこの議論に臨んでいます。



 
5 (科学が不適であるならば使うべき物差しはなんですか?)に関しては、これはもう私の視点からは科学的方法を提示するしかないですし、科学ほど「客観性」を重視するものはありません。でも「客観性」だけではダメなんですよね。超常現象のほとんどが体験談や主観を元にしていますよね。私は別にそれでもいいと思っています。その話の真偽を検証するためのスタートが体験談や主観でもいいと思ってます。ただし「何かがある」といいたいのならやはり誰もが納得しうる手続き(方法)を提示する必要があるでしょう。
私が超常現象関連においてもっとも忌避しているのは「先走った断定」と「「検証の拒否」です。
私は、超常現象の99%以上が現在の科学でも説明をつけることができると考えています。しかし、1%以下の中に、あるいは説明をつけた中にもっと 違う、それこそ超自然的な現象があるのではないかとも考えています。


・科学的視点

科学は「客観性」を重視する。
しかし超常現象は主観を元にしている。
立場上科学的視点からの納得と理解をしたいが、主観的視点も真偽を検証するためのスタートとしては認めざるを得ない。
ただし「何かがある」と主張するならば客観的な手続き(方法)を提示する必要がある。
超常現象関連においてもっとも忌避すべきは「先走った断定」と「「検証の拒否」である。
超常現象の99%以上が現在の科学でも説明をつけることができると考える。
しかし、1%以下、あるいは科学的説明がなされた中にも超自然的な現象がある可能性も考えうる。

これらを更に疑問の提議の形にすると。

1.科学は客観性を重視する。
“科学的視点以外(主観)”から超常現象を説明するならば“客観的(科学的)”な手続き(方法)を提示すべきである。


うーん、ちょっと違います。
科学的な検証を行っているものでもその始まりは個人の「思いつき」や「ある些細な現象に着目すること」だったりします。だから主観から始まるのは悪いことだとは思いません。
ただし何かの「存在を主張」し、それを「認めさせたい」のならばそこにはある一定の手続きが必要であり、現在最も使われておりなおかつ成果をあげているのは科学を置いてほかにはない、ということです。だから客観的な手続きとして科学を挙げているのであって、それが科学として若干邪道でも(科学の範疇から外れても)使う価値があるのならば使っても構わないと思っています。ただしその場合はその方法を使う「必然性」と「蓋然性」を説明すべきであると私 は考えます。

二つ続けてご覧ください。


 
ですが現在の超常現象の議論においては肯定派はすべての現象が超常的な力(存在)によって引き起こされているかのように言い、否定派はそれらすべてを(一見合理的な説明で)否定します。これでは意味がありません。

・超常現象に関する議論の現状

肯定派はすべての現象が超常的な力(存在)によって引き起こされていると説明。
否定派はそれらすべてを(一見合理的な説明で)否定している。
今回のこの議題において行いたいことは真実を見つけるためのふるい分けの作業であり、根拠を提示しない軽率な断定の否定である。

これらを更に疑問の提議の形にすると。

2.肯定派はすべて超常現象と説明しその根拠を明らかにしない。
一方、否定派は科学的に一応合理的な説明を行っている。
肯定派も根拠を提示しない軽率な断定はやめて合理的な根拠(科学的)説明をするべきである。


この元の私の文章は肯定派と否定派は対で書いてあります。

肯定                  中立                否定
←―――――――――――――――――――――――――――→
完全肯定派      肯定派          否定派      完全否定派

たとえばこのようにバロメータがあった場合、肯定派=完全肯定、否定派=完全否定を示しています。
つまり「科学的に説明が可能なこともすべて超常現象として信じ込む人がいる」ように「一見科学的(だけども現象の解説にはなっていない)なふりを して『科学的に解明されていない』と否定する人もいる」、こういう言い合いは(私も含めて)本人たちは言ったつもりになっているけど「ほとんど意味(価値)がないですね」と言っています。
そしてこれではいけませんね、と言っています。

となるのですがこの1と2の文章をみると自家撞着に陥っていることが分かります。

結局1は主観的現象であると認めていても最後は客観的すなわち科学的な根拠を求めていることがわかります。
2もやはり否定派は正しいか間違っているかはともかくとして根拠には科学的合理性が認められ肯定派よりその主張において優れていると考えていることが明らかです。


自家撞着に陥っているでしょうか?
1と2について論理的不整合性があるように見えないのですが自分の意見だから分からないだけでしょうか。教えてください。
また、こういう提示の仕方は卑怯なんでしょうか?
その場合は各パラグラフの赤と青のコメントを上から一つずつ読んでください。



以下同じコメント欄からのやりとりが続くのですが長いのでテーブルは挿入せずに(必要があれば入れます)続きに書いていきます。

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